* 「連続体」は、ほんとにあるの?
2014/10/13 | Filed under 自然科学 | Tags .集合論の本、というか「無限に魅入られた天才数学者たち」(アミール・D・アクゼル 青木薫訳 早川書房)を読み終わりました。といっても、2回目。この本は、とてもわかりやすいし、面白く読めるように書かれていて、あともう2回くらい読んだら、もっと頭に入りそうです。初版は2002年ということなので、もうすこし早く手にしていたら、と思いました。
「実無限って。。。」とか考えながら眠りにつくと、すごく心地よい気持ちで寝入ることができるのですが、そういう私は相当変というか、やっぱり頭の中が非日常な方へ飛んで行ってしまう体質なんでしょうか。女性は、もっと地に足のついた精神をもつ方が大半なので、私は男っぽいのかなと思うこともあります。
でも、この「無限に魅入られた天才数学者たち」を翻訳した青木薫さんも女性です。この方は、理数系を専門とされる翻訳者で、本当にすごい方。ご自身も理論物理専攻の理学博士で、専門的知識がある上、この方の訳した本を、けっこうたくさん読んでいるけど(有名なものでは、サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」とか。理論物理系の本もたくさん)、ほんとうに読みやすく訳されている。。。専門知識だけではなくて、日本語のセンスも良くて、そしてきっと心がこまやかな方なんじゃないかと思います。青木さんの訳書をまだあまり見かけなかった私の20代のころ、自然科学系の翻訳書は、訳のために読みづらさを感じることがどうしても多かった気がします。青木さんの訳のように、日本語としても、また思考の流れとしても全然つっかからずに読める自然科学書があるというのは、ほんとに感動的です。
また、この本は、青木さんの「訳者あとがき」がとても良かった。
この本のラストで、著者は、カントールの考えていた「連続体」←(たとえば、私たちが小学校で習った数直線など)もの は、実在するのだろうか?という問いかけを投げかけているのですが、青木さんは、それを「一般人にとって興味があるのは、「連続体は物理的実在か?」という問いではないだろうか」と解説されています。たぶん、ほとんどの読者は、ラストに同じ問いかけを心に抱いて本を閉じようとしているので、ほんとうに読者の心に沿っていると思う。
つまり、無理数が無数につまった数直線というものが、この世界の中に物質的にほんとうにあるのかしら?という問いかけなんだけど。この問いかけがすごく意味深なものに受け取れるのは、量子力学で、今のところ物質の最小単位である(とされる)電子や光子などの「量子」は、波なのか粒なのか、正体がはっきりわからないものの、1個、2個と数えられる、「離散的」な性質を持っていることがわかってきた(とされている)から。つまり、そこに「整数」が見えるという訳です。
その昔、世界は美しい整数の比で現されると信じてたピタゴラスは、無理数の存在を認めようとしなかったと言われています。でも、じつは、一辺が1の正方形の対角線は√2という無理数で、正方形みたいなシンプルな形にさえも無理数が含まれているとしたら、世界は無理数でできていると考えても全然おかしくなかったわけでした。
けれども、最近の物理学の発見でいくと、物質の最小単位は、整数で数えられるもので、世界が「連続体」に見えるのは、その最小単位があまりにも小さいからだと。。。デジタル画像の解像度が上がるほど、ジャギジャギが少なくなって画像がきれいになるのと同じことで。
最近のこの説をピタゴラスが聞いたら、きっと、泣いて喜ぶでしょうね。
古代ギリシャの人たちは、図形をコンパスと定規だけで作図し、その2つの道具で作図できないものは「存在しない」とみなしていたそうです。コンパスと定規では無理でも、ほかの道具を使えば作図できるものも、現代にはたくさんあるわけですが、古代ギリシャ人が作図可能かどうかにこだわったのは、ひとえに「存在しないもの」について語ることの危険を自覚していたからとも言われています。
ただ、作図ができること=物質として存在する、と言えるのかどうかという疑問もあります。
もし、やっぱり連続体は実在しない、と仮定したとして、たとえば円とか正方形は、作図はできますが、物質の世界には本当にあると呼べるのでしょうか?作図したときに、限りなく円に近い、ちょっといびつな形とか楕円とかはあるかもしれないし、限りなく正方形に近い四角形というのは、作図したりもできるかもしれませんが、完全に正確な円とか正方形みたいな図形が、人間の頭の中だけでなく、物質の世界に存在してるのかなあ?「連続体」がないとしたら、円も正方形も、正三角形も、とにかくそういう図形としての連続体も、実は、世界には「実在しない」のかも。
でも、青木さんは、だからといって数学はちっとも困らない、とも。つまり、数学の純粋な抽象的な理論は、物質世界とは違う所で、じゅうぶん成り立つものだから、、、ということなのでしょう。でも同時に、「物理的世界において、数学はなぜこれほどまでに有効なのか?」というウィグナーの問いかけを紹介されています。
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