Archive for September, 2010

* のんちゃんの絵、それから数字の色

2010/09/30 | Filed under アート | Tags .

最近、とても久しぶりに 大学時代の友だちと話しました。この友だちは、私にとって 結局のところ 一種の「巫女」的存在の人で、自分が自分の中のよくわからないことを、なんとか秩序づけようと考えているときに話すと、いつも 的確 かつ詩的な示唆をあたえてくれてきた とあらためて思います。

その友だちはシングルマザーで、今年、中1になるのんちゃんという女の子がいるのですが、のんちゃんがいままで描いてきた絵が 自由でやさしく、見ていると リラックスした しあわせなきもちになれる不思議な力があるようにおもえます。

そして、のんちゃんは、子どもの頃から、数字にも色がある って言ってたのだそう。

じつは私 あっそれわかるなあ。って思ったのです。

じつは私も、数字に色を感じます。

みなさんは、感じますか?あんまり深く考えないで、数字を思い浮かべて、直観で、色を思い浮かべてみてください。おもしろいよ。

わたしが感じる 数字の色はこう。

ゼロは黒。1は白。2は、赤かオレンジ、3は黄緑。4は・・・

ただ3以降になると、毎年カレンダーを描いているので、3月、4月、とかの季節感が持つ色に印象がひっぱられていく気がして、数字という抽象的なものがもつ 本質的な色として、自分が直観的に感じるのは、やっぱり、0と1と2までかもしれない、とも思いました。

この 直観的に感じる ゼロは黒、1は白っていうのは、なんだろう?

黒は暗闇で、白は光じゃないかしら。無と暗闇。すべてを吸い込むブラックホール。それがゼロで黒。

光は、その正反対。ふりそそいでくる光。世界(宇宙)が「存在」に満たされていて ひとつの「1」であるという状態。

そして、ゼロも1も 完全な静寂 complete silence の状態。だからモノクロームで、他の色はないのです。

でも 同じ静寂でも ゼロであり黒(闇)の静寂は、無の静寂。 1の静寂は、無の正反対。存在に満たされている 無限大の静寂。

ただ、この数字の色について、夫に聞いたら、夫は ゼロは無色透明、1が黒だと言いました。(上のような私の解釈を伝える前に、直観イメージだけを聞いてみた)

夫のイメージを言葉におきかえると、

黒を闇だとすると、ゼロは本当の絶対無で、1が闇、つまり闇でさえも存在のはじまりということになるのかな。

そして、2が赤だというのは夫も同じでした。

2が赤かオレンジなのは、「熱」かもしれない。物質と物質が出合ってぶつかりあうと 熱が生じるということ。

なんだか そんなことを考えてしまいました。

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* 透析しながら食道楽

2010/09/24 | Filed under | Tags .

「透析しながら食道楽 何を食べても大丈夫」飛鳥新社

友人が書いた本を読みました。キャッチーなタイトルです。

わたしにとっても20年来の友人である著者の朝倉めぐみさんは、イラストレーター。広範囲に活躍しているので、彼女の絵をご存知の方もいらっしゃると思います。その朝倉さんは、じつは数年前から人工透析を受けているのです。

朝倉さんは、お料理がとても上手で、本人も食べることが大好きな方。食に関してのセンスの良さはずば抜けていて、私も若いころからいろいろ教えてもらったりしてきました。

そんな方が、食事制限などの厳しい腎臓病になってしまったのですから、因果といえば因果なものです。人工透析になる前にも何年もの間、治療生活をがんばっておられましたが、はたから見ると体調がかなり心配な時期もありました。そして、結果的には、本人にとっても、またまわりにとってもショックではありましたが、透析を受けることになって、その後体調も生活もすごく安定したように見えます。

ところで、一読者としての私がおもしろいと感じたこの本の特徴はといえば。

最近、「食」に関して、とくに女性向けに発信されている内容の多くは、たとえばマクロビオティックの流れをくんだものとか、お肉を使わなかったり、ミルクのかわりに豆乳が使われているなど、ストイックな雰囲気をまとっていることが多いと感じています。写真や見せ方もそうだし、基本的にはストイックな生活スタイルへの希求というものがあって、食も位置づけられるという感じ。

でも、朝倉さんのこの本は、食に関する限りは、ストイックの正反対。美味しいものは透析してても、量を減らしてでも何でも食べたいし、肉もバターも礼賛、イギリスやフランスでも透析の予約をして、身軽に海外旅行もしてしまうし、友達を招いて、おいしい食事を作ってもてなして楽しく過ごすのが大好き、そしてご主人のためにもいつもたっぷりと手料理を作ってしまうような毎日。つまり、この著者は食というものを通して世界を愛でているので、だからストイックではなく、愛情がてんこ盛りなのです。

とにかく、この本は、家族や自分自身が、腎臓病、その他の病気にかかってしまって落ち込んでいるとしたら、この本はすごく元気を与えてくれる本だと思います。

そして、シトロンコンフィという食材のこととか、りんごのポタージュスープのレシピとか、エシレのバターケーキの話題などの食にまつわる話題は、透析話とは関係なしに楽しめるし参考になります。

次は、そういう食べ物のお話だけをあつめた、可愛いお洒落な朝倉さんの本が出たらいいな、とも思います。

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* 「祈り」

2010/09/17 | Filed under アート | Tags .

最近、絵を描くとき それを「祈り」だと思って描いています。

これはじつは、皇后美智子さまの言葉、「皇室は「祈り」でありたい」からインスパイアされたのですが。。。

「祈り」って、なんだかすごくしっくりくる。と思いました。

絵を描く人はみんな考えていると思うけれど、わたしも自分にとって絵ってなんだろうって、思うことがあるのです。わたしの場合、芸術として絵を描いているのではないのですが、どんなスタンスであろうと絵は絵で、絵を描くという行為は、原始的な衝動からうまれてくるものです。

長年仕事としてそれをしていると、いつかはそれを仕事として割り切って考えるようになるのかなと昔思っていましたが、そうはならず、それは無理だということが、逆にわかってきました。何年やっていても、絵を描くということを一般的な意味での「仕事」と考えるには、違和感がつきまといます。

では絵を描くとき、それを何だと思えば落ち着くのか?

私の場合、自分自身を表現するということにあまり目的意識をもてないので「自己表現」ではありません。そして、「仕事」っていうのもちょっと違うとすると いったい何?。

その答えはずっとみつかりませんでしたが、「祈り」だと考えると とても落ち着けたのです。

その「祈り」というのは、「世界が平和でありますように」とか「人々がみな幸福でありますように」とか「罪をゆるしたまえ」っていうようなのとは違っている。

つまり、現代の理性(おもに西洋で発達した)側から見ると 呪術とか魔術とかに分類されてしまう、原始的な心の欲求というか。

そういう、言葉でつづられたドクトリンに依っているようなものではなくて、もっと根源的な、無理に言葉にすれば、「自然との交合、一体感への欲求」のようなものかな、と思います。

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