Archive for January, 2012
* いきもの図鑑えほん
2012/01/28 | Filed under 動物, 本 | Tags いきもの図鑑えほん.新しい本、「いきもの図鑑えほん」(あすなろ書房)が もうすぐ出来上がります。
この本は、おもに日本で身近にいる動物(飼われるもの、野生動物ふくめ)と、種類はちょっと少ないけど、身近な鳥と虫についての こども向けのガイド絵本です。
こういう本が出来たら、と頭の中で思いついたのは、「野の花えほん 春夏」を描いていた頃、なので2008年頃でしょうか。それから数えると約4年弱で出来上がったということになりますが、実際には、20代のころから動物のいろいろな本を読むのが好きで、子育てのときの行動のしかたとか、活躍した犬の話とか、動物のおもしろいエピソードが頭の中にずいぶんたまっていたものがベースになっています。
いつも感じているのは、動物たち、とくに人間と同じ哺乳動物には、わたしたちとおなじような心もあるし、愛情ももっているということ。そういう、いきものたちのぬくもり感を、描けたらいいなと思っていました。
夜ねる前に読んで、ほっこり、安らかに眠りにつけるような本がほしくて、作った本。子どもの読者にも、おとなの読者にも、そんなふうに読んでいただけたら とてもうれしいです。
* 野の花ごはん2
2012/01/27 | Filed under おいしいもの | Tags 山菜.今月発売中のMOE(2012年2月号)に、「野の花ごはん 2」をとじこみの冊子として、掲載していただいています。
「野の花ごはん」を描き始めたのは、わたしたちにとって身近な山菜などを、じつは野生動物も同じように美味しいものとして好んでいるというのを知ってからです。
ふつう、植物と生き物の関係というと、昆虫が紹介されることが多く、その次には鳥ではないかと思います。
植物が入り口で、どんな動物がその植物を食べるかという話題は、今までまとまって読んだことがなかったので新鮮に感じ、まとめてみたくなったのでした。
昆虫や鳥は、人間とは、体の代謝の仕組みもかなりちがっていて、人間が食べられないようなものでも、食べています。でも、同じ哺乳動物の場合は、代謝も似ているので、わりと同じものを食べているのですね。
アイヌの猟師さんのお話を聞き書きした本「クマに会ったらどうするか」によると、アイヌの人の言い伝えでは、昔、クマなどが食べているものをマネして、人間も食べられるものをみつけたとか。「クマが食べてるから大丈夫だろう」と判断したそうで、なるほどな〜と思います。たぶん、そういうことは、アイヌの人たちの間だけでなく、世界中であったのではないかともおもいます。人間がひとつひとつ自分の体を実験台にするだけでは、こんなに幅広い食材を食用に採用するのは、簡単ではなかったでしょう。
そんなこんなで、「野の花ごはん」は、植物の紹介、それを食べる動物やいきものの紹介、そして、わたしたちが作れるお料理レシピがちょうど1/3ずつの内容になりました。そして、このページは、今度加筆、修正を大幅にくわえつつ、本にまとめさせていただける予定です。
料理研究家でもないので、料理のレシピが満載とは、おこがましい、という気も最初はしたのですが、考えてみると、わたしの作るご飯は、自分の料理!っていうようなものではなく、20年くらいの京都暮しで培った、「集合知」レシピによるものです。自転車で魚やお惣菜を運んできてくれる「山じゅう」さん(以前クーネルにも登場されていました)や、ご近所の方、そしてお店などで、教えてもらった下ごしらえのしかた、料理などが基本なので、それを形にしてのこすという意味で、お料理レシピにもスペースをじゅうぶんとっても良いかなと思いました。
また、担当の編集者の方も、じつはかなりのお料理上手、そして彼女とわたしの好きな料理の仕方が、たまたまとても良く似ていました。料理そのものはシンプルで、材料えらびや下ごしらえなどを、ていねいにする。というスタイルです。お互いの家に泊まりがけで訪ね、ご飯を作ってお互いにごちそうしたり、してもらったり、作り方の情報交換をしながら、ページを作っています。
* 宇宙ばなしに夢中
2012/01/26 | Filed under 本 | Tags 宇宙.最近、宇宙論の本を読むのに凝っています。
新書など、読みやすい一般向けの解説書が、たくさん出ていて、人気あるみたいですね。
わたしがハマったキッカケは、スティーブ・ジョブスの伝記を読んでいたとき。「エレクトロニクス」って聞き慣れた言葉ではあるけど、本当の所電気っていったい何?と思ってしまいました。そこから派生して、電磁力とか重力って何?というような根源的な疑問もわきあがってきて。
それとともに、私には高1の時に、これで数学を落ちこぼれたという積年の疑問があって、それは虚数iという概念なのです。√-1になるという、「実際にはない数」というものですが、この不思議さに心打たれ、立ち止まっているうちに、方程式の授業がみるみる進んでしまい、その日を境に、一気に落ちこぼれました。。。(あとから知ったのは、あまり深く考えずに、虚数iを座標の位置として考えると良かったようですが、座標として見たら見たで、なんだかいろいろ考えてしまいます)
こんないろんな角度の興味から行き着いたのが、最近どんどん研究が進化しつつある「宇宙の始まりはこうだった」というお話と、原子を構成する陽子や中性子などを、さらに構成しているクォークなどの素粒子の原理をあつかうという「量子論」です。つまり、宇宙のことを考えるためには、素粒子について考えることが欠かせないということになってきているようです。
宇宙の始まりについては、有名なホーキング博士が、「宇宙のはじまりは「虚数の時間ではじまった」という説を発表していて、虚数に人一倍こだわりのある私は、「虚数の時間って何?」と、また頭の中でいろいろと考えて遊べます。
そして、量子論では、古典物理学で説明のつく物体の運動とちがっているため、存在って何なのかという哲学的な問いも生まれてくるような不思議な世界が展開されているのですが、今のコンピューターとか携帯電話とかは量子論の応用で出来ているわけですから、日常生活に直結しているとも言えるようです。
そういうことをいろいろ考えて読んでいると、この宇宙の中での人間、ということも素朴に考えてしまいます。・・・と思ったら、物理学の世界でもそういうことが浮上していて「人間原理宇宙論」というのもあるようです。
少なくとも、2003年頃から次々に明らかにされてきた、宇宙全体のさらなる不可思議さの中で考えると、この地球上で、古典物理学レベルの物質界の目先の利益や、自分だけが富を独占したいというような原始的な欲望で、過剰な金融資本主義に走ったり、いろんな利権にとらわれるような生き方が、「20世紀的」な古くさいものに思えて来る気がします。
そういえば、、若いころは、「哲学」みたいな本に、それなりに興味がありました。
それはつまり、悩みが多かったからでもありますが、哲学は結局「わたしたちは、いったい何なのか、何のために生きてるのか、これからどこへいくのか」ということを、あれやこれやと考える、そういう世界だからでした。
でも、古典的な哲学書、たとえば、よく聞くカントとかヘーゲルとかは、とてもじゃないけど訳でさえ原本は読めなくて、ただ高校の倫理社会の授業程度の、いろんな考え方の歴史をちょっと知った程度でしたし、ニーチェを読んでみたけどチンプンカンプン、カミュやサルトルの実存主義やポストモダン哲学のミシェル・フーコーなどは、時代が近いこともあって多少わかったような気にもなり、共感できる所もありましたが、日本では浅田彰氏の「構造と力」が一時、一世風靡したけど、結局、読み終わっても、あんまり内容が頭に残っていませんでした。(「スキゾ」と「パラノ」という人間の分類が流行語になったのがなつかしいです)
とにかく、むかしの「マルクス主義」みたいに、みんなが共有できそうな、メジャーな思想というのが、20世紀の最後の方にはなくなっていて、哲学的な「知」とか「思想」がちょっとマニアックなものになってきていたと思います。それで、当時、「今の時代に合うようなメジャーな哲学は、これから誰かが作るのかなあ」みたいな話を、先生や友だちとおしゃべりをした所で、止まってしまっていました。
でも、今、宇宙論を読んでいると、もしかしたら、これからの時代の、もしくは、これからの若い人たちにとっての「哲学」って、これになるんじゃないかな、と思うようになりました。宇宙論は、もちろん科学なのですが、限りなく哲学とクロスする所にあって、、、
そして、古典的な、とくに西洋の哲学は、結局は人間中心にできている考え方の世界なので、今の世界観に合わなくなっているように感じてしまう所が出て来ています。その一方で、宇宙論からは、桁違いに大きな視点から人間を客観的に見ることができるのです。それこそ「わたしたちは何なのか、これからどこへいくのか」と考えるときのヒントを、たくさん与えてくれるような気がするのです。
少なくとも、卑近な現実をあれこれ思い悩むよりも、気持ちの持ち方について、スッキリと教えてくれる気がする。
これが今、わたしが宇宙ばなしに夢中になっている理由なのかもしれません。
(写真は、年末の月食のとき、夫が撮った写真。わたしよりも夫はかぶりつきで、窓あけっぱなしで夢中で月食を見ていました。寒かった・・・)
* 鳥は 雪によって
2012/01/19 | Filed under リネン | Tags キルト.1月も もう半分以上がすぎてしまいました。。。
今年が、おだやかで良い年になりますように。
アンティークのドイリーやレース、しまいこんでいるよりは、とキルトを作り始めました。
ちょっとした時間に少しずつ縫って、絵などの仕事に戻ると、なんだか新鮮に思えて、いい気分転換。
このキルトは、下のエミリ・ディキンスンの詩をイメージして作りました。
******
水のあることは 渇きによって わかる
陸地は 海によって
よろこびは 苦しみによって
平和は 戦いによって
愛は その形見によって
鳥は 雪によって
(F93)
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