* 人はいつから人になるの?
2010/10/06 | Filed under 本 | Tags .生殖・発生の医学と倫理 ―体外受精の源流からiPS時代へ (京都大学学術出版会 刊)
という本を読みました。
著者は、森崇英 京都大学医学部名誉教授(1935年生)。日本の体外受精研究の草分けの一人で、徳島大学在任中に、日本で初めて医学のための「倫理委員会」を設立しました。その後、研究の場を京都大学に移し、高度生殖医療を日本に根付かせ、社会に認められるために、さまざまな努力をしてきた著者が、この本ので問いかけていること、それはつまり「人は、いつから人になるのか?」という 哲学的テーマです。
不妊治療の中で、今では 体外受精は当たり前の治療ですが、この技術がはじめて確立された当時「試験管ベビー」と呼ばれ、大きなセンセーションを巻き起こしました。臨床的にも日本で確立してから、まだ30年もたっていません。世界で初めて、体外受精を成功させたのは、イギリスのエドワーズ博士。まだ、世界初の体外受精児が誕生していなかった1970年代前半、著者は、エドワーズ博士と何度も会い、重要な示唆をうけ、また、エドワーズ博士の、体外受精にかけている「迫力」を感じたと回想しています。
その後、高度生殖医療が、不妊になやむ患者のためにも、また医学的進歩のためにも、日本に導入されるべきだと思った著者は、そのために奔走しました。
徳島大学で、著者が指揮をとる体外受精をスタートさせ、また倫理委員会のような組織の必要性について模索しはじめていたちょうど矢先、著者は、がんなどの患者から摘出した卵巣の卵子を、患者に無断で研究に使用していたということで、マスコミに糾弾されました。記者会見を開き、真っ正面からおわびをした上で、朝日新聞のインタビューなどにも答え、使用していたものは、廃棄されるものであること、また、卵子という命の宿らない細胞の状態での実験であったこと、がんなどの重篤な病気の患者さんに「実験用に使わせてくれ」となかなか言いにくい状況があることを社会に理解して欲しいと訴え、事件はほどなく収束。
けれども、この事件は著者にとって、あらためて生殖医療についての倫理観を、早急に、社会で共有しなければという思いが強まるキッカケになりました。
その後も、粘り強く、研究、臨床治療活動をつづけて、今では、体外受精で生まれた子は55人のうち1人の割合でいるという程、一般に浸透しているのは、多くの方がご存知のとおりです。
けれども、そこには、人の誕生を人が操作するということが孕む倫理的な問題が横たわっています。
まず、この本で論じられているとおり、生殖医療の技術を進歩させるということは、つまりは患者さんの幸福につながるわけですが、そのための研究では、どうしても受精卵を扱うことが必要になります。その際、その受精卵が人の命そのものであるかどうか?という命題に行き当たるのです。
興味深いのは、各宗教によって 見解が本当に多様なことです。
ローマ・カトリックでは、受精した段階から人の命とみなします。このため基本的に生殖医療そのものを否定する立場です。カトリックは、人間の誕生や死は「神の領域である」として、避妊なども禁止していることは、ご存知の方も多いと思います。
それにくらべて、生殖医療を、世界にさきがけて科学技術として推進してきたイギリスの英国国教会は、受精して14日後に「胚」ができる前は、人命とはみなさないという立場をとりました。なんともこれは、イギリス人らしく合理的です。これなら、受精後14日以内の受精卵は、倫理上の問題なく、研究、実験に使うことができます。
また、ユダヤ教は、受精卵が子宮に着床してからが人の命、イスラームではなぜか受精から60日後とされるようです。
ところで 仏教といえば。
仏教には、輪回転生という思想があります。(つまり、これは私なりの解釈ですが「個人」は絶対でなく、絶え間なく変化しながらも全体としては増えも減りもせず、ただ循環している宇宙の中の、一つの現象ととらえます。)
何度も生まれ変わるということは、つまり、今は人間でも前世や来世が動物になるという可能性もあり、どこからどこまでがその人個人であり人間であるか 基本的にははっきりしていないということのようです。また、キリスト教的な「人が人であることの尊厳」のような思想が、もともと仏教にはなく、人も動物も同格なのです。
そして、著者が、倫理委員会のメンバーに迎え、ヒアリングをした高野山(真言宗)のお坊さんによると、仏教では、すべてをありのままに受け入れるという発想なので、生殖医療が発達して、そのような形で人が生まれて来るのであれば、それもまた人の生まれる道である という立場になるそうです。
著者によると、簡単には結論の出ない こんな命題について考えなくてはいけないのは、高度生殖医療研究のためだけではありません。IPS細胞などのクローン技術が、すごい速さで発達しつつあるからなのです。
今、脳死についてなど 人がいかに死ぬべきかということについては、さかんに議論されていますが、人がどのように生まれて来るべきか という議論は まだ活発でない。でも、今、それは「いかに死ぬべきか」の議論と並んで、絶対に避けて通れないものになっている、と著者は考えているようです。
この本、なぜ たまたま読むことになったのかというと、この著者は、実は私の叔父で、出来立てほやほやの本を、先週もらったのです。
この叔父とは、今、近所に住んでいるため、折りにふれて、いろいろな話をします。マスコミで騒がれたこともある医学部教授というと「白い巨塔」の財前教授のようなイメージかもしれませんが、ふだん着の叔父は、単刀直入に表現すると 天然ボケ。白髪をふりみだし 診察室で患者さんに接する姿は、町のお医者さんそのものに見えます。ただし、とてつもなくパワフルな人であることも確かで、また私のような畑違いの仕事についての話も、真剣に興味をもって聞いたりする、ある種の「純真力」をもっています。
この本は、私にとっては今まで身近にいながら、詳しく聞けなかった、「卵子無断使用事件」の経緯も含めた叔父の内面的な足跡を知るという意味でも、重要でした。その事件についてもこの本の中では 率直に事実関係を報告しています。そして、倫理委員会の発足経緯などについても、叔父が、高度生殖医療の導入、発展に人生を捧げて来たことをあらためて感じました。
人はいつから人になるのでしょうか。どのようにして生まれてくるべきなのでしょうか。
「人に魂が入るのは、いつからなのか」と叔父は問いかけています。
私にとっては、つねに「サイエンス」で、ものを考える「科学者」だと思っていた叔父が、「魂」という言葉を使って思考し、悩み続け、キリスト教や仏教などの宗教的な思想とも、真剣に向き合って考えつづけている事実に、あらためて驚きました。
本を読み終え、そんなことを考えていたら、昨日、奇しくも、この本の中に登場する世界ではじめて体外受精を成功させた エドワーズ博士が、今年のノーベル医学賞を受賞したというニュースが、目に入ってきました。
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