Archive for January 26th, 2012

* 宇宙ばなしに夢中

2012/01/26 | Filed under | Tags .

最近、宇宙論の本を読むのに凝っています。

新書など、読みやすい一般向けの解説書が、たくさん出ていて、人気あるみたいですね。

わたしがハマったキッカケは、スティーブ・ジョブスの伝記を読んでいたとき。「エレクトロニクス」って聞き慣れた言葉ではあるけど、本当の所電気っていったい何?と思ってしまいました。そこから派生して、電磁力とか重力って何?というような根源的な疑問もわきあがってきて。

それとともに、私には高1の時に、これで数学を落ちこぼれたという積年の疑問があって、それは虚数iという概念なのです。√-1になるという、「実際にはない数」というものですが、この不思議さに心打たれ、立ち止まっているうちに、方程式の授業がみるみる進んでしまい、その日を境に、一気に落ちこぼれました。。。(あとから知ったのは、あまり深く考えずに、虚数iを座標の位置として考えると良かったようですが、座標として見たら見たで、なんだかいろいろ考えてしまいます)

こんないろんな角度の興味から行き着いたのが、最近どんどん研究が進化しつつある「宇宙の始まりはこうだった」というお話と、原子を構成する陽子や中性子などを、さらに構成しているクォークなどの素粒子の原理をあつかうという「量子論」です。つまり、宇宙のことを考えるためには、素粒子について考えることが欠かせないということになってきているようです。

宇宙の始まりについては、有名なホーキング博士が、「宇宙のはじまりは「虚数の時間ではじまった」という説を発表していて、虚数に人一倍こだわりのある私は、「虚数の時間って何?」と、また頭の中でいろいろと考えて遊べます。

そして、量子論では、古典物理学で説明のつく物体の運動とちがっているため、存在って何なのかという哲学的な問いも生まれてくるような不思議な世界が展開されているのですが、今のコンピューターとか携帯電話とかは量子論の応用で出来ているわけですから、日常生活に直結しているとも言えるようです。

そういうことをいろいろ考えて読んでいると、この宇宙の中での人間、ということも素朴に考えてしまいます。・・・と思ったら、物理学の世界でもそういうことが浮上していて「人間原理宇宙論」というのもあるようです。

少なくとも、2003年頃から次々に明らかにされてきた、宇宙全体のさらなる不可思議さの中で考えると、この地球上で、古典物理学レベルの物質界の目先の利益や、自分だけが富を独占したいというような原始的な欲望で、過剰な金融資本主義に走ったり、いろんな利権にとらわれるような生き方が、「20世紀的」な古くさいものに思えて来る気がします。

そういえば、、若いころは、「哲学」みたいな本に、それなりに興味がありました。

それはつまり、悩みが多かったからでもありますが、哲学は結局「わたしたちは、いったい何なのか、何のために生きてるのか、これからどこへいくのか」ということを、あれやこれやと考える、そういう世界だからでした。

でも、古典的な哲学書、たとえば、よく聞くカントとかヘーゲルとかは、とてもじゃないけど訳でさえ原本は読めなくて、ただ高校の倫理社会の授業程度の、いろんな考え方の歴史をちょっと知った程度でしたし、ニーチェを読んでみたけどチンプンカンプン、カミュやサルトルの実存主義やポストモダン哲学のミシェル・フーコーなどは、時代が近いこともあって多少わかったような気にもなり、共感できる所もありましたが、日本では浅田彰氏の「構造と力」が一時、一世風靡したけど、結局、読み終わっても、あんまり内容が頭に残っていませんでした。(「スキゾ」と「パラノ」という人間の分類が流行語になったのがなつかしいです)

とにかく、むかしの「マルクス主義」みたいに、みんなが共有できそうな、メジャーな思想というのが、20世紀の最後の方にはなくなっていて、哲学的な「知」とか「思想」がちょっとマニアックなものになってきていたと思います。それで、当時、「今の時代に合うようなメジャーな哲学は、これから誰かが作るのかなあ」みたいな話を、先生や友だちとおしゃべりをした所で、止まってしまっていました。

でも、今、宇宙論を読んでいると、もしかしたら、これからの時代の、もしくは、これからの若い人たちにとっての「哲学」って、これになるんじゃないかな、と思うようになりました。宇宙論は、もちろん科学なのですが、限りなく哲学とクロスする所にあって、、、

そして、古典的な、とくに西洋の哲学は、結局は人間中心にできている考え方の世界なので、今の世界観に合わなくなっているように感じてしまう所が出て来ています。その一方で、宇宙論からは、桁違いに大きな視点から人間を客観的に見ることができるのです。それこそ「わたしたちは何なのか、これからどこへいくのか」と考えるときのヒントを、たくさん与えてくれるような気がするのです。

少なくとも、卑近な現実をあれこれ思い悩むよりも、気持ちの持ち方について、スッキリと教えてくれる気がする。

これが今、わたしが宇宙ばなしに夢中になっている理由なのかもしれません。

(写真は、年末の月食のとき、夫が撮った写真。わたしよりも夫はかぶりつきで、窓あけっぱなしで夢中で月食を見ていました。寒かった・・・)

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