Archive for the ‘本’ Category
* いきもの図鑑えほんが出来ました
2012/02/27 | Filed under 本 | Tags いきもの図鑑えほん.いきもの図鑑えほん、ついに出来ました!
先週末、担当の編集者の方が、わざわざ持ってきてくださった見本です。
今週末くらいから、書店さんにも並び始める予定で、また、LINNETでも発送を始めさせていただけると思います。
「みなさん、はじめまして。わたしたち、「いきもの図鑑えほん」に住む ぶた家族です。」
ぶた母さんより
* いきもの図鑑えほん
2012/01/28 | Filed under 動物, 本 | Tags いきもの図鑑えほん.新しい本、「いきもの図鑑えほん」(あすなろ書房)が もうすぐ出来上がります。
この本は、おもに日本で身近にいる動物(飼われるもの、野生動物ふくめ)と、種類はちょっと少ないけど、身近な鳥と虫についての こども向けのガイド絵本です。
こういう本が出来たら、と頭の中で思いついたのは、「野の花えほん 春夏」を描いていた頃、なので2008年頃でしょうか。それから数えると約4年弱で出来上がったということになりますが、実際には、20代のころから動物のいろいろな本を読むのが好きで、子育てのときの行動のしかたとか、活躍した犬の話とか、動物のおもしろいエピソードが頭の中にずいぶんたまっていたものがベースになっています。
いつも感じているのは、動物たち、とくに人間と同じ哺乳動物には、わたしたちとおなじような心もあるし、愛情ももっているということ。そういう、いきものたちのぬくもり感を、描けたらいいなと思っていました。
夜ねる前に読んで、ほっこり、安らかに眠りにつけるような本がほしくて、作った本。子どもの読者にも、おとなの読者にも、そんなふうに読んでいただけたら とてもうれしいです。
* 宇宙ばなしに夢中
2012/01/26 | Filed under 本 | Tags 宇宙.最近、宇宙論の本を読むのに凝っています。
新書など、読みやすい一般向けの解説書が、たくさん出ていて、人気あるみたいですね。
わたしがハマったキッカケは、スティーブ・ジョブスの伝記を読んでいたとき。「エレクトロニクス」って聞き慣れた言葉ではあるけど、本当の所電気っていったい何?と思ってしまいました。そこから派生して、電磁力とか重力って何?というような根源的な疑問もわきあがってきて。
それとともに、私には高1の時に、これで数学を落ちこぼれたという積年の疑問があって、それは虚数iという概念なのです。√-1になるという、「実際にはない数」というものですが、この不思議さに心打たれ、立ち止まっているうちに、方程式の授業がみるみる進んでしまい、その日を境に、一気に落ちこぼれました。。。(あとから知ったのは、あまり深く考えずに、虚数iを座標の位置として考えると良かったようですが、座標として見たら見たで、なんだかいろいろ考えてしまいます)
こんないろんな角度の興味から行き着いたのが、最近どんどん研究が進化しつつある「宇宙の始まりはこうだった」というお話と、原子を構成する陽子や中性子などを、さらに構成しているクォークなどの素粒子の原理をあつかうという「量子論」です。つまり、宇宙のことを考えるためには、素粒子について考えることが欠かせないということになってきているようです。
宇宙の始まりについては、有名なホーキング博士が、「宇宙のはじまりは「虚数の時間ではじまった」という説を発表していて、虚数に人一倍こだわりのある私は、「虚数の時間って何?」と、また頭の中でいろいろと考えて遊べます。
そして、量子論では、古典物理学で説明のつく物体の運動とちがっているため、存在って何なのかという哲学的な問いも生まれてくるような不思議な世界が展開されているのですが、今のコンピューターとか携帯電話とかは量子論の応用で出来ているわけですから、日常生活に直結しているとも言えるようです。
そういうことをいろいろ考えて読んでいると、この宇宙の中での人間、ということも素朴に考えてしまいます。・・・と思ったら、物理学の世界でもそういうことが浮上していて「人間原理宇宙論」というのもあるようです。
少なくとも、2003年頃から次々に明らかにされてきた、宇宙全体のさらなる不可思議さの中で考えると、この地球上で、古典物理学レベルの物質界の目先の利益や、自分だけが富を独占したいというような原始的な欲望で、過剰な金融資本主義に走ったり、いろんな利権にとらわれるような生き方が、「20世紀的」な古くさいものに思えて来る気がします。
そういえば、、若いころは、「哲学」みたいな本に、それなりに興味がありました。
それはつまり、悩みが多かったからでもありますが、哲学は結局「わたしたちは、いったい何なのか、何のために生きてるのか、これからどこへいくのか」ということを、あれやこれやと考える、そういう世界だからでした。
でも、古典的な哲学書、たとえば、よく聞くカントとかヘーゲルとかは、とてもじゃないけど訳でさえ原本は読めなくて、ただ高校の倫理社会の授業程度の、いろんな考え方の歴史をちょっと知った程度でしたし、ニーチェを読んでみたけどチンプンカンプン、カミュやサルトルの実存主義やポストモダン哲学のミシェル・フーコーなどは、時代が近いこともあって多少わかったような気にもなり、共感できる所もありましたが、日本では浅田彰氏の「構造と力」が一時、一世風靡したけど、結局、読み終わっても、あんまり内容が頭に残っていませんでした。(「スキゾ」と「パラノ」という人間の分類が流行語になったのがなつかしいです)
とにかく、むかしの「マルクス主義」みたいに、みんなが共有できそうな、メジャーな思想というのが、20世紀の最後の方にはなくなっていて、哲学的な「知」とか「思想」がちょっとマニアックなものになってきていたと思います。それで、当時、「今の時代に合うようなメジャーな哲学は、これから誰かが作るのかなあ」みたいな話を、先生や友だちとおしゃべりをした所で、止まってしまっていました。
でも、今、宇宙論を読んでいると、もしかしたら、これからの時代の、もしくは、これからの若い人たちにとっての「哲学」って、これになるんじゃないかな、と思うようになりました。宇宙論は、もちろん科学なのですが、限りなく哲学とクロスする所にあって、、、
そして、古典的な、とくに西洋の哲学は、結局は人間中心にできている考え方の世界なので、今の世界観に合わなくなっているように感じてしまう所が出て来ています。その一方で、宇宙論からは、桁違いに大きな視点から人間を客観的に見ることができるのです。それこそ「わたしたちは何なのか、これからどこへいくのか」と考えるときのヒントを、たくさん与えてくれるような気がするのです。
少なくとも、卑近な現実をあれこれ思い悩むよりも、気持ちの持ち方について、スッキリと教えてくれる気がする。
これが今、わたしが宇宙ばなしに夢中になっている理由なのかもしれません。
(写真は、年末の月食のとき、夫が撮った写真。わたしよりも夫はかぶりつきで、窓あけっぱなしで夢中で月食を見ていました。寒かった・・・)
* Black Potatoes
2011/02/26 | Filed under 本 | Tags .最近、絵本や子供向けの読み物ばかり読んでしまうのですが、この間、Susan Campbell Bartolettiという人の書いた「Black Potatoes」という本を読みました。
1845〜1850年に、アイルランドで起きた大飢饉のことを書いた、ジュニア向けのドキュメンタリー本です。
「Black Potatoes」(黒いじゃがいも)というのは、1845年に、アイルランドの農民たちが主食にしているじゃがいもが 菌による病気にかかり、ほとんど一晩で真っ黒に変色して腐るという状態になったことから、その飢饉が起きたため、このように呼ばれているのだそうです。
じぶんのための ノートも兼ねて、この本の内容を箇条書きにしてみます。
*1845年は夏頃から天候が不順で、雨が多かった。秋の収穫時期、畑に植えてあるじゃがいも、収穫を終えて貯蔵されているじゃがいものすべてが、一晩で黒く変色して腐ってしまった。この減少は、1845年1849年まで、毎年起きた。当時は原因がわからず、妖精のしわざなどともささやかれたけれども、今では、Phythophthora infestansという菌が、南アメリカから輸入された鶏糞系の肥料から移ったのではないかと考えられている。
当時、アイルランドの農民たちは、食べ物のほとんどをじゃがいもに頼っていたので、大飢饉が起きた。
*当時、アイルランド全体はイギリスの統治下にあり(現在は北アイルランドはUnited Kingdomに所属しているが、南アイルランドは独立している)アイルランドの土地の多くは、イギリス人が領有していて、農民には多額の賃料が課せられていた。賃料が払えないと、土地を追い出されて 家族ごと放浪の季節労働者になってしまった。飢饉が起きている間も、年貢の取り立てはやむことがなく、大量の小作民が流浪の民になってしまった。
*イギリス政府は救済のために、急遽アメリカから「インディアンコーン」というとうもろこしを輸入したけれど、とても固くて人間が普通に食べられる状態でなく、このコーンのせいでも多数の死者が出た。
*政府の対策としては 地主などが出資して作られている「Poor House」という一種の収容所に貧民を収容した。そこでは貧しい人に わずかな食料を供給するのとひきかえに、一日12時間以上の過酷な労働を強いたため、亡くなる人もあとをたたなかった。
*当時、イギリスの経済に対する考え方は、「Lesse Faire(Let it do)」(政府が介入しない自由経済を尊ぶ考え方)の思想が中心にあったので、アイルランドの窮状に対しての政府の動きは遅かった。けれども、民間レベルでのチャリティ活動が高まってきて、一番飢饉がひどい時期には、政府主導で「Soup Kitchen」という、スープとパンを1日一回ずつサービスする炊き出しをした。けれども、すこし飢饉がおさまる傾向が見えると、早々と炊き出しは終了。
*農民の主食であるじゃがいもが 腐って駄目になったために起きた飢饉だったけれども、飢饉の間、麦などの他の作物は豊作で、それらは、経済作物として、イギリスなどに運ばれていた。このように順調に収穫できた麦、大麦が飢饉にさらされている人々に供給されることはなかった。(だから、江戸時代に日本でたびたび起こった「凶作による飢饉」とは 少し性格がちがう。)
*飢饉による餓死のほか、腸チフスやコレラなどが蔓延し、飢餓で抵抗力を失った人たちは、大量死した。
*じゃがいもが食べられないので、人々はお金に変えられるものは何でもお金に変えて、食べ物を買ったけれども、追いつかなかった。それで、土地の賃料が払えなくなって、追い出されて すべての財産を失う前に、残ったわずかのなけなしのお金でもって、アメリカへ移民する人が大量に出た。
*アイルランドの貧しい人たちは、三等船室でアメリカに旅をした。衛生状態、食べ物も悪く、もともと飢饉で体が弱り、伝染病が流行っていた所から旅に出た人たちは、多いときは20%くらいが、アメリカに着くまでに亡くなった。
*飢饉にくるしんだまずしい人達のほとんどは、アイルランド語しか話せず、また文盲率も高かった。その人たちが、アイルランドを去ってから、アイルランドでは多くの古い伝承なども忘れられ、またアイルランド語を話す人の数が激減した。
*アメリカに移民したアイルランド系の人たちは、底辺の労働者として、鉄道の建設など、アメリカ合衆国のインフラ作りに大量の労働力を提供した。
*現在、アイルランドの人口は、「黒いじゃがいも」飢饉の起きる半分程度しかいない状態。
だいたい要約するとこんな感じです。
移民をするとき、一族の中で別れ別れになるということも多く、たとえば10代の息子一人を残し、未亡人の母親が幼い子供達を連れてアメリカに移住するケースもあったそうです。
残る人びとは、移民する人と もう生涯会えなくなるという意味をこめて、お葬式と同じような方法で送る会をしたそうです。それは、涙とともに、 みんなで踊って 歌って、という会でした。そして、去る人が出発する際、残る人は、ギリギリ行ける限りの所まで 歩いて見送ったのだそうです。
それから、アイルランドの窮状が伝わると、1846年ごろから、アメリカからもアイルランド系の人などが、祖国にたくさんの寄付を送るなど、寄付が届いたそうですが、その中で、1838年にアメリカで大きな迫害にあった先住民、チェロキー族の人達(Trail of tears, 涙の道 で有名な オクラホマへの強制移住でたくさんの人が亡くなった)からも、飢饉で苦しむアイルランドの人へ、寄付が贈られたのだそうです。
この本の本文最後のページ (p172)には 以下のように書かれています。
****
アメリカに移住した多くのアイルランド人は、決して故郷を忘れようとせず、またその民族意識とプライドをもちつづけたのでした。
飢饉のときに、両親に連れられ移民した、ヴァージニア州リッチモンドに住むある男性は、言いました。
「私がアイルランドを去ったとき、まだ赤ん坊でした。アイルランド人たちは、とても大変なおもいをしたのです。でも、私の母はいつも、アイルランドの青い山々や、湖のことを話し、それらを愛し続けていました。家の中で、母はいつもアイルランドの歌を歌っていたものです」
* 野の花えほん 原画展
2010/12/27 | Filed under 本 | Tags .おとといから 本格的に冬がやってきたようです。
きのう 近所の川べりを歩いたら おどろくほど 水が澄みわたっていて
川底にしずんだ もみじの葉が 透けてみえました。
気がつくと もう年末ですが うれしいことがあります。
今日から 愛知県 豊橋市の書店さん、精文館書店本店3Fで
「野の花えほん」の原画を展示していただいています。
本のために描いた原画のなかから 8点を選びました。
みなさまに ごらんいただけたらうれしいです↓
2010年12月27日(月)~2011年1月26日(水)
お問い合わせ:精文館書店本店児童書(0532-54-2345代表)
* 人はいつから人になるの?
2010/10/06 | Filed under 本 | Tags .生殖・発生の医学と倫理 ―体外受精の源流からiPS時代へ (京都大学学術出版会 刊)
という本を読みました。
著者は、森崇英 京都大学医学部名誉教授(1935年生)。日本の体外受精研究の草分けの一人で、徳島大学在任中に、日本で初めて医学のための「倫理委員会」を設立しました。その後、研究の場を京都大学に移し、高度生殖医療を日本に根付かせ、社会に認められるために、さまざまな努力をしてきた著者が、この本ので問いかけていること、それはつまり「人は、いつから人になるのか?」という 哲学的テーマです。
不妊治療の中で、今では 体外受精は当たり前の治療ですが、この技術がはじめて確立された当時「試験管ベビー」と呼ばれ、大きなセンセーションを巻き起こしました。臨床的にも日本で確立してから、まだ30年もたっていません。世界で初めて、体外受精を成功させたのは、イギリスのエドワーズ博士。まだ、世界初の体外受精児が誕生していなかった1970年代前半、著者は、エドワーズ博士と何度も会い、重要な示唆をうけ、また、エドワーズ博士の、体外受精にかけている「迫力」を感じたと回想しています。
その後、高度生殖医療が、不妊になやむ患者のためにも、また医学的進歩のためにも、日本に導入されるべきだと思った著者は、そのために奔走しました。
徳島大学で、著者が指揮をとる体外受精をスタートさせ、また倫理委員会のような組織の必要性について模索しはじめていたちょうど矢先、著者は、がんなどの患者から摘出した卵巣の卵子を、患者に無断で研究に使用していたということで、マスコミに糾弾されました。記者会見を開き、真っ正面からおわびをした上で、朝日新聞のインタビューなどにも答え、使用していたものは、廃棄されるものであること、また、卵子という命の宿らない細胞の状態での実験であったこと、がんなどの重篤な病気の患者さんに「実験用に使わせてくれ」となかなか言いにくい状況があることを社会に理解して欲しいと訴え、事件はほどなく収束。
けれども、この事件は著者にとって、あらためて生殖医療についての倫理観を、早急に、社会で共有しなければという思いが強まるキッカケになりました。
その後も、粘り強く、研究、臨床治療活動をつづけて、今では、体外受精で生まれた子は55人のうち1人の割合でいるという程、一般に浸透しているのは、多くの方がご存知のとおりです。
けれども、そこには、人の誕生を人が操作するということが孕む倫理的な問題が横たわっています。
まず、この本で論じられているとおり、生殖医療の技術を進歩させるということは、つまりは患者さんの幸福につながるわけですが、そのための研究では、どうしても受精卵を扱うことが必要になります。その際、その受精卵が人の命そのものであるかどうか?という命題に行き当たるのです。
興味深いのは、各宗教によって 見解が本当に多様なことです。
ローマ・カトリックでは、受精した段階から人の命とみなします。このため基本的に生殖医療そのものを否定する立場です。カトリックは、人間の誕生や死は「神の領域である」として、避妊なども禁止していることは、ご存知の方も多いと思います。
それにくらべて、生殖医療を、世界にさきがけて科学技術として推進してきたイギリスの英国国教会は、受精して14日後に「胚」ができる前は、人命とはみなさないという立場をとりました。なんともこれは、イギリス人らしく合理的です。これなら、受精後14日以内の受精卵は、倫理上の問題なく、研究、実験に使うことができます。
また、ユダヤ教は、受精卵が子宮に着床してからが人の命、イスラームではなぜか受精から60日後とされるようです。
ところで 仏教といえば。
仏教には、輪回転生という思想があります。(つまり、これは私なりの解釈ですが「個人」は絶対でなく、絶え間なく変化しながらも全体としては増えも減りもせず、ただ循環している宇宙の中の、一つの現象ととらえます。)
何度も生まれ変わるということは、つまり、今は人間でも前世や来世が動物になるという可能性もあり、どこからどこまでがその人個人であり人間であるか 基本的にははっきりしていないということのようです。また、キリスト教的な「人が人であることの尊厳」のような思想が、もともと仏教にはなく、人も動物も同格なのです。
そして、著者が、倫理委員会のメンバーに迎え、ヒアリングをした高野山(真言宗)のお坊さんによると、仏教では、すべてをありのままに受け入れるという発想なので、生殖医療が発達して、そのような形で人が生まれて来るのであれば、それもまた人の生まれる道である という立場になるそうです。
著者によると、簡単には結論の出ない こんな命題について考えなくてはいけないのは、高度生殖医療研究のためだけではありません。IPS細胞などのクローン技術が、すごい速さで発達しつつあるからなのです。
今、脳死についてなど 人がいかに死ぬべきかということについては、さかんに議論されていますが、人がどのように生まれて来るべきか という議論は まだ活発でない。でも、今、それは「いかに死ぬべきか」の議論と並んで、絶対に避けて通れないものになっている、と著者は考えているようです。
この本、なぜ たまたま読むことになったのかというと、この著者は、実は私の叔父で、出来立てほやほやの本を、先週もらったのです。
この叔父とは、今、近所に住んでいるため、折りにふれて、いろいろな話をします。マスコミで騒がれたこともある医学部教授というと「白い巨塔」の財前教授のようなイメージかもしれませんが、ふだん着の叔父は、単刀直入に表現すると 天然ボケ。白髪をふりみだし 診察室で患者さんに接する姿は、町のお医者さんそのものに見えます。ただし、とてつもなくパワフルな人であることも確かで、また私のような畑違いの仕事についての話も、真剣に興味をもって聞いたりする、ある種の「純真力」をもっています。
この本は、私にとっては今まで身近にいながら、詳しく聞けなかった、「卵子無断使用事件」の経緯も含めた叔父の内面的な足跡を知るという意味でも、重要でした。その事件についてもこの本の中では 率直に事実関係を報告しています。そして、倫理委員会の発足経緯などについても、叔父が、高度生殖医療の導入、発展に人生を捧げて来たことをあらためて感じました。
人はいつから人になるのでしょうか。どのようにして生まれてくるべきなのでしょうか。
「人に魂が入るのは、いつからなのか」と叔父は問いかけています。
私にとっては、つねに「サイエンス」で、ものを考える「科学者」だと思っていた叔父が、「魂」という言葉を使って思考し、悩み続け、キリスト教や仏教などの宗教的な思想とも、真剣に向き合って考えつづけている事実に、あらためて驚きました。
本を読み終え、そんなことを考えていたら、昨日、奇しくも、この本の中に登場する世界ではじめて体外受精を成功させた エドワーズ博士が、今年のノーベル医学賞を受賞したというニュースが、目に入ってきました。
* 透析しながら食道楽
2010/09/24 | Filed under 本 | Tags .友人が書いた本を読みました。キャッチーなタイトルです。
わたしにとっても20年来の友人である著者の朝倉めぐみさんは、イラストレーター。広範囲に活躍しているので、彼女の絵をご存知の方もいらっしゃると思います。その朝倉さんは、じつは数年前から人工透析を受けているのです。
朝倉さんは、お料理がとても上手で、本人も食べることが大好きな方。食に関してのセンスの良さはずば抜けていて、私も若いころからいろいろ教えてもらったりしてきました。
そんな方が、食事制限などの厳しい腎臓病になってしまったのですから、因果といえば因果なものです。人工透析になる前にも何年もの間、治療生活をがんばっておられましたが、はたから見ると体調がかなり心配な時期もありました。そして、結果的には、本人にとっても、またまわりにとってもショックではありましたが、透析を受けることになって、その後体調も生活もすごく安定したように見えます。
ところで、一読者としての私がおもしろいと感じたこの本の特徴はといえば。
最近、「食」に関して、とくに女性向けに発信されている内容の多くは、たとえばマクロビオティックの流れをくんだものとか、お肉を使わなかったり、ミルクのかわりに豆乳が使われているなど、ストイックな雰囲気をまとっていることが多いと感じています。写真や見せ方もそうだし、基本的にはストイックな生活スタイルへの希求というものがあって、食も位置づけられるという感じ。
でも、朝倉さんのこの本は、食に関する限りは、ストイックの正反対。美味しいものは透析してても、量を減らしてでも何でも食べたいし、肉もバターも礼賛、イギリスやフランスでも透析の予約をして、身軽に海外旅行もしてしまうし、友達を招いて、おいしい食事を作ってもてなして楽しく過ごすのが大好き、そしてご主人のためにもいつもたっぷりと手料理を作ってしまうような毎日。つまり、この著者は食というものを通して世界を愛でているので、だからストイックではなく、愛情がてんこ盛りなのです。
とにかく、この本は、家族や自分自身が、腎臓病、その他の病気にかかってしまって落ち込んでいるとしたら、この本はすごく元気を与えてくれる本だと思います。
そして、シトロンコンフィという食材のこととか、りんごのポタージュスープのレシピとか、エシレのバターケーキの話題などの食にまつわる話題は、透析話とは関係なしに楽しめるし参考になります。
次は、そういう食べ物のお話だけをあつめた、可愛いお洒落な朝倉さんの本が出たらいいな、とも思います。
* 森のくまっこ
2010/07/28 | Filed under 動物, 本 | Tags クマ.知床の砂浜にヒグマが出たとか、盛岡の動物園に野生のツキノワグマが迷い込んだなど、この季節はとくにクマ出没ニュースが多い気がします。
動物園に迷い込んだ熊は捕獲され、山に帰されたそうですが、、そこが動物園だから山に帰してもらえてラッキーだったかも。というのも、その少し前にも盛岡市近くの川にクマがいるのがみつかり、駆除ということで射殺されてしまったそうなので。
クマが人里に出て来る、とくに秋にそれが起きるケースは、山で,クマの主食であるドングリの出来に影響されるという説があります。クマの好むドングリは,落葉広葉樹の自然林に多い、コナラ、ミズナラ,ブナなどのブナ科の木の実で,杉や檜の大規模植林によって,,クマの生息域だった、そういう広葉樹の自然林の面積が減っていると言われています。地域にもよりますが、山奥に行く程、こういう人工の杉や檜の森が、たくさんある所があるようです。
それにひきかえ、山に近い集落付近は、今や過疎化で人がめっきり少なくなって、里山と呼ばれる周辺の森が野生がえりしているため、クマや野生動物の食べる実のなる蔓草などが繁茂し、集落では柿や栗の木がほったらかされていたり、農作物のゴミが捨ててあったりしてこちらも食べ物が豊富なため、クマの方でも人里近くの方が暮らしやすい、と思ってる傾向がうかがえるとか。
人工林といえば、京都の周辺にも、杉を人工的に密集して植林した森があります。昼でも真っ暗で、種々雑多な木がある森とちがって、下草もなく、まるで「黄泉の国」とでも呼びたくなるほど、不気味で陰鬱な雰囲気です。遠くから見るとこういう場所は、山にあって まるで「畑」のよう。千歳アイヌの猟師、姉崎等さんの話を聞き書きした本「クマにあったらどうするか」では、北海道でさえも奥地まで人工林で、そういう所は,過去にヘリコプターや飛行機で農薬を一斉散布していたこともあり、ミミズ一匹さえもいない死んだ森になっている、と姉崎さんが語っておられました。
ツキノワグマやヒグマは,通常はヒトを避けて生きていますが,ヒトと遭遇して緊張している時に,クマがパニックになると,「逆ギレ」して,やぶれかぶれで人を襲うというパターンが多いそうです。また逃げるものを追いかける性質があるため(犬みたいですね),後ろを向いて逃げると襲われてしまうとか.これはヒグマでも同じのようです.そして、ヒグマはツキノワグマに比べると執着心がとても強いのだそうです。
山に接した場所で農業を営む人にとっては,クマに作物を食害されるということは死活問題でもあり,体格も大きいし力もあるので,対応を間違えて人を襲うと、命に関わる事故にもなることから,駆除されてしまうことも多いのです。
この「クマは眠れない」という本は、日本に最初に「奥山放獣(捕獲した動物を,奥山に放す)」という方法を導入したツキノワグマ研究者の米田(まいた)一彦さんの一番新しい本(2008年刊)。米田さんは,青森出身で、秋田県庁にお勤めだった頃、鳥獣保護行政に携わっていたそうです。苛酷なクマの駆除の現場にも数多く立ち会い,やがて県庁を退職してフリーのクマ研究者として活動されるようになりました。その後、広島県に居を移し、絶滅の危険がささやかれている中国地方のクマのために,現在も広島県で活動中。韓国や中国のツキノワグマ保全にも尽力されています。この本は,最新の厳しい現実と情報分析が内容ですが,それと共に、著者がどんなにクマを愛してるかが伝わります。
巻末、「あとがきにかえて」として収録されている 奥州ことばで書かれた詩があります。
「くまは いつ眠るんだべえ」
(前略)
なして人を襲うんだべ。そごが分がらねえ。それさえなげればなあ。
おめだじは、ほんとに融通あ利かねえ、やじらだ。
いづも同じことをして負げる。
吾(わ)ど、そっくりだな、おめだじは。
(中略)
見たいことが、あるんだよ。
あめ、ゆじっこ降ったら木の穴っこさ潜る、おめえが、
赤ん坊のように無心に眠るところを。
その歯で、かもしかを食い、
その爪で人を襲った、おめえが、
凍れだ(しばれだ)山奥の木の洞で丸ぐなって、
今は穏やかに、まなぐを閉じて、眠っている。
(後略)
奥州人 米田一彦
米田さんの主宰されている日本ツキノワグマ研究所のホームページに,去年、乗鞍岳のバスターミナルに熊が侵入し、9人が怪我をして、最後にクマが射殺された事故の報告が載っています。これによると,一人が襲われていると別の人が助けに来て、またその人が襲われていると、また他の人が助けに来て、というふうに順番に次々襲われて怪我をしたそうです。
その中で、近くで山荘を営み,このときにクマに襲われている人を助けに入り、また自分も襲われて重傷を負った方が,「襲ったクマを恨むわけではない」とコメントされたというのが印象的でした。標高2700m、そこは、もともとは人の領域ではなかったことを、そこに暮らす方はふだんから感じておられるのかな、と思いました。
(文中より「beachmolluscひむかのハマグリ」にリンクさせていただきました。管理者様に御礼申し上げます。)
* 野の花えほん 秋と冬の花
2010/07/26 | Filed under 本, 野の花えほん | Tags 野の花えほん.「野の花えほん 秋と冬の花(写真右)」が出来上がりました。
去年の今頃から11月頃までずっと、近所の川縁や道ばた、森のそばなどを歩いて野の花を探し、絵のエスキースを描くという毎日でした。掘り出し物の草花がみつかる、数々の「穴場」もあったのですが、それらの多くは暫定的な空き地で、今はなくなっている所もあります。キツネアザミのいっぱいあった空き地には家が建ち、川縁の美しいイシミカワの茂みがあった場所は、この間の大雨による増水で根こそぎ土が全部流れて川になってしまいました。
はびこる時には「雑草」と呼ばれたりもしますが、野の草花の存在は、こんなふうに時として儚いものです。だから、こうやって描きとめて、本の中にしまっておきたくなるのだと思います。
春夏と秋冬、2巻セットの本なので、こうやって2冊を並べられる日が待ちきれず、見本が届く前日の夜は、そわそわして寝付けませんでした。(この本の製作にたずさわって下さった、編集の吉田さん、装丁のタカハシさん、デザイナーのカワイさん、佐久印刷さん、そして、版元のあすなろ書房のみなさま、ほんとうにありがとうございました)
本が出来上がる時というのは、うれしいと同時に、とても緊張します。また、ページ数の都合で入れられなかった植物もいろいろとあったり、作っている途中はこれ以上余力がない状態の全力投球なのに、終わってみると、もっとあんなことも、こんなことも、と至らない点が目についたりもします。
ジャズシンガーの綾戸智恵さんが「一つアルバムが出来上がると、不完全な所に気づいてしまう。それで、また次のものを作りたいと思える」と書いておられましたが、私も同じ気持ちです。
たぶん、自分の作ったものに100%満足できる瞬間というのは、永遠に来ないのでしょう。。。それでもやっぱり本を作るのが好きです。
「あんなことも、こんなことも」という気持ちを次への原動力に、次の作業を始めています。
* アーロン収容所
2010/07/17 | Filed under 本 | Tags IMF, アーロン収容所, ギリシャ危機, 未分類.昔、父の書棚から出して読んで、断片的にそのおもしろさを覚えていた本が、去年、中公文庫から再刊行されました。
著者の会田雄次さんは、もう鬼籍に入られていますが、京大の人文研に長く勤められた西洋歴史学の研究者。戦時中、軍に召集されて、ビルマに送られ、敗戦と同時にイギリス軍の捕虜になられました。捕虜として収容されていたビルマの捕虜生活の思い出をつづった本です。
花輪和一さんの、映画にもなったマンガの名作「刑務所の中」というのがありますが、この「アーロン収容所」も、それに類するおもしろさです。会田さんが所属していたのが京都で召集された部隊なので、切迫していてさえもどこかおかしみのある関西弁の会話(まわりを英軍に囲まれ、突撃して玉砕すると言ってきかない若い将校に、30すぎの「オッサン」の兵士が、「アホいいな、まだ大丈夫や、ひこ、ひこ。(退こう、の意味)」と声をかけてるとか)、捕虜になった兵たちが、英軍倉庫から「ちょろまかして」きた粉でまんじゅうを作ったり。兵士は、いろんな職業の人がいるから、何でも作れるのだそうです。それで、まんじゅうを作っている小屋には、ぼろ布を仕立て「まんじゅう」と書いた暖簾まで下がっていたとか・・・
こんなことばかりを書くと楽しそうですが、本の中味はそれが全てではなく、会田さんは、この経験を通じて、イギリス人や西洋の文化を冷静に観察して、その人種差別意識や、老獪な残忍さをいやと言う程知り、それまでの日本のインテリが持っていた、「憧れの西洋」的発想の修正をせまられました。
たとえば、イギリス人は誰も日本人と直接話そうとしない、イギリス人の女性兵士は、日本軍捕虜がそばにいても、平気で全裸でいる、なぜかというと日本人は動物と同じだから、「家畜」に裸を見られても恥ずかしくないのだと。
また、食事に出て来る米の品質があまりにひどいので、軍の上の人を通じて英軍にかけあってもらった所、「あの米は、家畜の餌として使用しているが、なんら問題はない」という答えがかえってきたとか。。。
中で、気さくに日本人とも話そうとした人が一人だけいて、その人はアメリカに長く住んでいたらしいということでした。会田さんの観察では、イギリス人やフランス人の持つ「老獪さ」というものが、西洋文化の裏の面として歴然としてあるということです。(ちなみに、イギリスの人種差別は私自身も経験したことがあります)
その他、日本人には好意的だったインド兵、ビルマの人たちのことも、客観的にたくさん書かれています。インド兵とビルマ人は、仲が悪かったそうですが。。。
会田さんは、歴史的に牧畜の文化をもつ白人が、捕虜を管理し、少ない食事(餌)で、最大限に働かせる、その合理的な考え方を、歴史学者として冷静に観察して分析しています。有色人種=家畜と同等、という意識を明らかにもっている彼らですが、怪我や病気をした時は、日本軍よりも手厚く手当をしてくれたし、殴る、蹴るなどの無駄な暴力はいっさいふるわなかったそうです。また、イギリス人の中の「階級」が、見た目でわかる程だということも書いています。
先週、IMF(国際通貨基金:先進国、おもに白人の国がお金出し合って作った信用組合みたいなもので、お金が足りなくなった国にお金を貸して助けたりする機能があります。今まで白人の国が中心だったため、アジアなどの国の出資比率が高くなることを警戒していたようですが、中国などが経済成長して、そんなことも言ってられなくなってきつつあるそうです)が日本に消費税を上げるべきだという提言をしてきたというニュースを読んで、「アーロン収容所」に書かれている合理的なヨーロッパ人というのを思い出してしまいました。
IMFの中心は、 アメリカ、ドイツ、フランス、イギリスなどの白人の国々ですが、日本はアジアの国としては突出して、現在、出資比率では2位です。麻生首相がサミットだかGナントカかに出かけて、リーマンショック直後だったので、IMFに7兆円とかを寄付?(表向きは出資)したんじゃなかったでしたっけ。それなのに、なんでそんなことIMFに言われなきゃいけないのかな~~と一瞬思ったものの、逆にそうやっていつもお金出す立場の日本だから、なのかもしれないですね。
日本は財政が破綻しそうで、ギリシャみたいになると言わます。けれども、日本は借金が極端に多いとは言え、その借金、つまり国債の引受先は90何%が国内で、自分の国以外に多額のお金を貸してもらってたギリシャの状況とは全然ちがうんじゃないのかな、というのは、私はあまり経済のことを知らないものの、素朴な疑問なんですが。。。それってつまり、奥さんと子どもを外食に連れて行くのに、お父さんはおこづかいを持ってないから、奥さんと子どもたちにお金を借りているのと同じ状態な訳です。お父さんにお金がなくて、奥さんにも子どももお金なくて、しかたないので、近所の鈴木さんからお金を借りて毎日レストランに食べに行っているような状態とは全然その深刻さが違うと思うのですが。。。
でももちろん、だんだん奥さんと子どもにもお金がなくなりそうなので、お父さんはこのままで行くと近所の鈴木さんに借りにいかないといけなくなりそうだから大変だ!というのが今の日本の状況なわけですよね。それは主婦感覚からいっても、確かに危機的状況ではあります。
ギリシャは、お父さんにも奥さんにも子どもにもお金はないけど、近所の鈴木さんや、佐々木さんや、田中さんたちが競うようにお金を貸してくれてしまったおかげで、返せる範囲以上に借りて贅沢しすぎて(住宅バブルとか)みんなにお金返せなくなって、お金貸した人もお金が返って来ないので家計に影響して困ってしまったという状況な訳です。
本当は、日本よりもイギリスなどの方がさらにギリシャに近いのでは?そのような状況で、この前のG20で、各国が、財政を建て直しましょうという相談をして、共通の目標を設定したんだけれども、日本は例外になれました。それは、上のように借金が多いとはいえ、その性質が国内的なものだから。他の国は、たとえばドイツでも、ドイツ国債の半分は他国が買っている状態、つまり半分は国外の人にお金借りてる状態なわけなのですから。。。
余談ながら、そのG20で例外になったというニュースを朝日新聞と読売新聞のネットニュースで読んで、論調が「疎外された」「孤立した」という感じだったのが不思議でした。借金多い国の人たちが集まって共同目標作ってお互い監視し合うのを、日本だけ入らなくて良かったのをよろこばないで、どうして「孤立」「疎外」っていうネガティブな言葉になるのかなー?お互い借金の持ち合いをしてる国々は、いざというとき助け合うから?でも、日本は、IMFにもいっぱい出資してるんだから、いざというときは、IMFに対して、(焼け石に水でも)お金出して、って強気で言う権利くらいあるはずです。日本だけ、独自の道があってもいいのではないでしょうか。
そしてIMFに「消費税上げた方がいいんじゃないスか?」って言われて、IMFが日本のためを思って言ってくれたなんて 勘違いしそうになりますが、そんなはずは絶対ないわけです。IMFはただ、日本は増税でも何でもして、IMFにまたお金を出して欲しいから言ってるし、世界2位とか、中国に抜かれて3位になるとしても、そういう規模の日本経済が破綻したら、やっぱり世界中に影響を与えてしまいますから、そういうことを真剣に心配しているだけで、日本人の生活を心配して言ってる訳ではないのです。
そして西洋の人というのは、別にそう思って言ってるということを、隠したりしないはずだと思います。
自分達の利益になることを主張するのは理にかなっていて、それは恥ずかしいことでも何でもない、というのが、「アーロン収容所」にも書かれている西洋文化の「合理性」なのじゃないかな、と思うのです。自分たちの利益だけを最優先に主張するのを「恥ずかしい」と感じる日本の美意識は、悲しいけれども、そこで少し弱さにつながってしまうのかな、とも思います。
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