Archive for October 11th, 2014

* ニャンカの話

2014/10/11 | Filed under | Tags .

うちには、今猫が5匹います。わが家の猫メンバーは、ふくちゃん(17歳)ハナ蔵(16歳)銀次郎(2012年、12歳で没)、ニャンカ(6歳)、すずちゃん(2歳)、きよし(1歳)。

今6歳になるニャンカは、今の家に引っ越してきた次の年に拾った子猫です。

うちには、お勝手口の外に小さな塀で囲まれた小さなスペースがあって、キッチンコートと呼んでいます。引っ越してきたばかりで、この近所にどれだけ野良猫がいるかを自覚してなかったわたしは、そこに時々生ゴミの袋を置いていました。

8月の終わり頃、その袋がめちゃめちゃに破られて、生ゴミ散乱!それが2〜3回立て続けにおきました。カラスが犯人?!と思ったのですが、ある日、夫が「小さな穴が2つ並んであいてる」。つまり猫?

それで、お勝手口の網戸からずっと観察していると、写真のような子猫がやってきました。小さいですが、1.8mくらいの塀を自力で上り下りできるので、生後3ヶ月半くらいかしら。シャムとトラの混血みたいな色です。目は青。

一目見て、「かわいい♡!今なら、もう一匹くらい飼えるかも。。。」と思ってしまったわたしは、生ゴミ食べるくらいなら、と餌でつることにしました。

生ゴミあさるくらいだから、誰にも餌ももらえてないし、空腹だったのでしょう。ドライフードを置くと、早速食べに来ました。最初は、わたしたちが見てるのがわかると逃げてたけど、すぐに慣れて平気になり、4~5日後には、お勝手口を開けて、触れるようにもなりました。そして姪の持ってたぬいぐるみによく似てたことから、そのぬいぐるみの名前「ニャンカ」をもらって命名。

それで、はじめて抱っこをした後、手がぶあ〜〜〜っと痒くなり、相当ダニがいることがわかりました。そういえば、毛もぺちゃっとしてる。。。それで早速フロントライン投与。首筋にほんの少したらすだけのノミダニ駆除薬です。フロントラインをした翌日、ニャンカの毛はふわっふわになっていて、もう触ってもかゆくありません。うちの家猫たちには、実際あまりノミダニがわいた経験がないので実感がありませんでしたが、フロントラインは相当効く薬のようです。

そんなこんなでノミダニ駆除もできたし、今考えれば、この時点で無理矢理家の中にひきこんでいれば良かったのですが、体の弱い銀次郎もいたし、今はとりあえずご飯だけは必ず食べに来るようになったので、もう少し網戸越しに他の猫たちと慣らして、獣医さんに連れてってワクチンもしてから、、、と考えたのが、ちょっと失敗でした。

↑ニャンカを調べるふくちゃん

もともと野良育ちのニャンカ、それからさらに数週間も外で暮らすと、すでに生後5ヶ月近くになっています。そうすると、お勝手口を開けて、中には入ってくるのですが、ドアを閉めると閉じ込められた気になるのか、大パニックを起こすのです。うーん、これはなかなか難しい、かも?

11月末、ニャンカと会ってから3ヶ月弱、ニャンカが推定生後6ヶ月になり、去勢手術もしました。これを機会に家の中のケージに入れて、家の中に慣れてもらおう、と思っていたのですが、夜、ケージの中で「出せ!」と大暴れ。かえって怪我でもしそうな勢いなので、しかたなく外に出してしまいました。真夜中に。。。もう帰って来ないんじゃないかと涙しながら。

でも翌日はちゃんと帰ってきたニャンカ。それからも、外に置いた段ボールハウスで暮らしていましたが、ときどき家の中に入れて、少しずつ室内の滞在時間を長くするようにもしました。1月頃からすごく寒くなると、家の中に泊まっていくこともふえました。その時は、ほかの猫たちに見つからないよう、ソファの下にかくれてました。でも、このままだと、飼い猫でも、昼間はお出かけする猫になってしまうかな?

それが、2月に入ったころ、ぶじに完全室内飼いになってくれたのです。

きっかけは、ニャンカが成長するにつれ、もともと町内にいたボス猫にいじめられるようになったことです。そのボス猫は、ニャンカのなわばりであるはずのキッチンコートにも侵入してくるようになりました。そうすると、もううちにも来られなくなって、2日くらい行方不明になることも何度かあり、もう2度と会えないのかとまた涙。

そのときも、2日姿が見えなくて、3日め。外でニャンカの大きな鳴き声がしました。見ると、ボス猫のいない隙にキッチンコートに戻ってきて、家の中に入ろうとしてドアによじのぼり、レバーをカチャカチャと触っています。そのレバーが動くとドアが開くというのを、すっかり学習しているんですね。

急いでドアを開けて、ニャンカを家の中に入れました。相変わらずソファの下に隠れて、ほかの猫たちが寝静まると、リビングをうろうろしています。もう2度とニャンカを外に出さない、と心に決めました。

ニャンカがソファに隠れていると、ふくちゃんと銀次郎は無関心。でもハナ蔵(じつは子猫の世話好き)は、興味があって、近づいてきます。ソファの下にいるニャンカが出て来ようとすると、バシっと猫パンチ。赤ちゃん猫であれば、無条件にすぐにかわいがるハナ蔵ですが、すでにニャンカは人間でいうと15〜16歳。なんていうか、つまりこの家での礼儀を教えているような感じです。そうやってソファの下でハナ蔵とバトルを繰り返しつつ、だんだんそれが遊びみたいになってきて、しかもニャンカはハナ蔵に「参りました」というような仁義をちゃんと切ったんでしょうか、だんだん仲良くなってきました。

↑最近のハナ蔵(左)とニャンカ

朝になると、以前のように出たい出たいと鳴いていましたが、出さないようにして、約1週間目、ことのほか出たいとうるさく鳴くので、お勝手口のドアの、上下にスライドして開くガラス窓をすーっと開けてみました。そうしたら、なんと、そこにニャンカをいじめるボス猫の顔がドーン!

ボス猫は、家の中の気配を聞いて、そこに待機していたようです。

それを見たとたん、ニャンカはくるっと踵を返し、家の2Fまでダーッと駆け上がって行きました。 思えば、それが、完全に、うちの猫になった瞬間だったかも。

それ以来、ニャンカは完全室内飼いの猫です。2歳くらいまでの間は、外を覚えていて、2回ほど脱走したこともありますが、すぐに帰ってきました。6歳になった今は、ベランダや中庭だけで満足しているようです。

↑うちの猫になったばかりの頃、中庭で。

それでも、この経験で、外で育った子猫を室内飼いにすることの大変さを実感しました。獣医さんでも、「よく完全室内飼いにできましたねー」と言われます。子猫を、どのみち拾うなら、1日も早い方がいいのです。野良暮らしがしみつくと、それだけで大変。。。(だから、去年現れたきよし君は、うちで飼うかどうかは後で考えることにして、2日目に保護しました)

でもその一方で、野良育ちでも、完全室内飼いにできるんだ!とも。

あとでご近所さんと話すと、ニャンカは、どうやらうちの裏のお宅の敷地内で生まれた子猫のようです。そのお宅の敷地は広くて、離れの裏の方は、薮のようになっています。ここなら、猫やイタチが繁殖してても、確かに人目につかないかも。。。そのお宅のご主人によると、子猫が生まれてたような感じだということで、お母さんはトラ猫で、そのうちいなくなったということでした。うちにはじめて来たころのニャンカは、お母さんに置いていかれたばかりだったのでしょうか。(野生の猫は、子猫がある程度育つと、そうやって子離れするようです)とにかく、ノミダニだらけで飢えて、人間の世話を受けていなかったことだけは確かです。

それから、ニャンカはたぶん、きょうだいのいない一人っ子だったようです。そのせいなのか、ほかの猫たちとは微妙に距離を保っています。捨て猫でもきょうだい揃って捨てられて、きょうだいと一緒に育ったハナ蔵やすずちゃんは、今も他の猫たちとのスキンシップが大好きで、寒い季節は年がら年中くっついて寝ていますが、そんな時でもニャンカは10cmくらい離れています。

↑奥がニャンカ、いっしょに寝るハナ蔵とすずちゃん(茶トラ白)とは少し離れてる。

それとともに、ニャンカは愛情表現が不器用で、わたしに甘えてくるのですが、けっこう強い力で噛みます。よく言われることですが、きょうだいのいない猫は、遊びの噛み加減がわからないまま大きくなるらしく、ニャンカはまさにそのタイプ。

でも、今、ニャンカと一緒に布団の上などにいると、当時のことを思い出します。こうやって、ニャンカと布団の上ですごすのが、あのときの私の夢だったな〜。実現した夢の中に、私いるんだわ。

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* 集合論って?

2014/10/11 | Filed under 自然科学 | Tags .

この間、編集者の人と数学の話していて、「集合」と「確率」って嫌いだったわー!という話になりました。私も、ほんとうに。とくに、集合の方がつまらなかった。

でも、最近になって知ったのですが、集合論は、結局、「無限」というアイデアと深くつながってるんですよね。無限について考えてて精神を病んだ、カントールという19世紀の後半ごろドイツで研究していた数学者が、今の集合論の基礎を作ったのだとか。

思うのですが、数学も、そういう文脈とともに教えてもらえればねー。。。だって、集合の授業の時、カントールのカの字もなかったですから。

で、今、無限とかカントールの本を、気分転換に読んだりしてるのですが、とにかく、カントールは、まず数を自然数とか実数とか、それぞれの集合に分けて、それぞれは無限だけど、「集合」というある種完結したものとして扱い、無限の度合いというか、濃度がちがうんじゃないかと考えたと。

で、整数に有理数を加えた数の集合は、1番目、2番目、とか大きさで並べて順番に数えていける無限です、と。これを「離散的な」数と考えたようですね。それぞれの数が、1つ1つの位置をきっちり占めて、それぞれの位置に置かれているという状態です。

でも、無理数を加えた実数全体の無限は、無理数なんて無限につづく少数点以下で、1つ1つの大きさ、つまり数直線上の位置が決められないから、順番に数えたりもできないわけですよね。でも、とにかくぎっしりと数直線の中に無限に連続して存在している「連続体」だから、自然数と有理数の無限よりもずっと大きいというか、濃度が濃いというか、とにかく無限の程度がちがうでしょう、と考えたそうなのです。言ってみれば、無理数をふくめた「連続体」の無限は、それ自体が1つの存在であって、その中のどれか1点、1点に着目したら、そこに数が現れるというか、そんな感じなのかも。

カントールが考えた、こういう無限を「実無限」と呼んで、ただ単に終わりがないという日常的な意味の無限を、数学では「可能無限」とよぶそうです。つまり、可能無限では、えんえんと続いてて終わりはないよという動的な状態であるのに比べて、実無限の方は、無限とわかっているけど、それでとりあえず完結している状態というか、閉じた無限というような意味を持たせたようなんですね。たしかに、無限の程度を比べたりするのには、それぞれがいちおう完結しているものとして見ないと、比べられないですものね。

で、「無限」(つまり実無限)にヘブライ文字の最初のアルファベットである、アレフという字をあてて、アレフと呼んだと。そして、その無限の濃度、程度によってアレフ0とかアレフ1とか、番号をつけたかったんだって。

そしてそして、常識で考えたら、整数+有理数の数えられるけど終わりがないタイプの無限がアレフ0なら、次は無理数も含めた実数全体の無限が来てアレフ1になりそうじゃない?カントールもそう思って、それを証明したかったんだけど、それがどうしても出来なかったと。。。カントールが証明したかったこの仮説は、「連続体仮説」とよばれるそうです。

そして、「連続体仮説」が証明できないイライラと、そういう無限とか無限の大きさなんてことを論じること自体に反感をもつ、元恩師でもあるクロネッカーという数学者にいじめられたことが重なって、鬱の発作を断続的にくり返すようになったそうです。

カントールがしようとしたことは、じつは後で、それは証明できないってことが証明されたんだとか。

無限の濃度を決めるとか、それを順番に並べるとかっていうのは、本来的には「終わりがないこと」であるはずの「無限」を、外から俯瞰して眺めて、比較しなくちゃいけないはずなんです。それは、結局できないということが論理的に証明されて、数学者もショックを受けたけど、それもカントールが世を去った後のお話。

つまり、カントールがしようとしたことは、無限を云々しようという「神の領域」への挑戦だったということになるのでしょうか。(っていうか、どうして無限の階層をそんなに決めたくなったのでしょうね。)

ほとんど数学とは思えない、哲学のようなお話ですが、文系のわたしたちは、こういう話なら大好きなのに。数学の授業で出て来た集合論の退屈さを思い出すと、きっと数学の先生は、ややこしい数式を解いたりする方がワクワクして、こんな話が根底にある集合論が、実際あんまり好きではなかったのか。それとも、わたしたち生徒がアホすぎると思っていて、語る気になれなかったのか。

でもそれを批判もできない。。わたしも実は、大学の時、高校生の女の子の家庭教師のバイトをしていて、数学もなぜか一緒にやってたんです。(以前、その話を、いわゆるリケジョ(理系の専門職についている)の友人に話したら、ブフッ!って笑われて、「えっ、その子大学どこ入ったん?!」ってつっこまれた。。。えーとそれが、エスカレーター式の女子校に行ってる子でしたので、学校でなんとか点をとっていれば、自動的に上に上がれたんですね。だから、数学を教えてたというよりも、一緒に勉強してたというのに近いんだけど、、、)

で、なんちゃって数学家庭教師体験を思い出しても、数式とか具体的な問題があれば、具体的に達成感が出やすいですが、こんな集合論みたいな哲学みたいな話は、そういうわかりやすい楽しさがないから、教えにくいとは思います。

集合論、まだよくわからないこともあるのですが、(たとえば「集積点」という意味がまだよくわからない、、、)とりあえず、今思ったことを、またまた備忘録として。

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