* 集合論って?

2014/10/11 | Filed under 自然科学 | Tags .

この間、編集者の人と数学の話していて、「集合」と「確率」って嫌いだったわー!という話になりました。私も、ほんとうに。とくに、集合の方がつまらなかった。

でも、最近になって知ったのですが、集合論は、結局、「無限」というアイデアと深くつながってるんですよね。無限について考えてて精神を病んだ、カントールという19世紀の後半ごろドイツで研究していた数学者が、今の集合論の基礎を作ったのだとか。

思うのですが、数学も、そういう文脈とともに教えてもらえればねー。。。だって、集合の授業の時、カントールのカの字もなかったですから。

で、今、無限とかカントールの本を、気分転換に読んだりしてるのですが、とにかく、カントールは、まず数を自然数とか実数とか、それぞれの集合に分けて、それぞれは無限だけど、「集合」というある種完結したものとして扱い、無限の度合いというか、濃度がちがうんじゃないかと考えたと。

で、整数に有理数を加えた数の集合は、1番目、2番目、とか大きさで並べて順番に数えていける無限です、と。これを「離散的な」数と考えたようですね。それぞれの数が、1つ1つの位置をきっちり占めて、それぞれの位置に置かれているという状態です。

でも、無理数を加えた実数全体の無限は、無理数なんて無限につづく少数点以下で、1つ1つの大きさ、つまり数直線上の位置が決められないから、順番に数えたりもできないわけですよね。でも、とにかくぎっしりと数直線の中に無限に連続して存在している「連続体」だから、自然数と有理数の無限よりもずっと大きいというか、濃度が濃いというか、とにかく無限の程度がちがうでしょう、と考えたそうなのです。言ってみれば、無理数をふくめた「連続体」の無限は、それ自体が1つの存在であって、その中のどれか1点、1点に着目したら、そこに数が現れるというか、そんな感じなのかも。

カントールが考えた、こういう無限を「実無限」と呼んで、ただ単に終わりがないという日常的な意味の無限を、数学では「可能無限」とよぶそうです。つまり、可能無限では、えんえんと続いてて終わりはないよという動的な状態であるのに比べて、実無限の方は、無限とわかっているけど、それでとりあえず完結している状態というか、閉じた無限というような意味を持たせたようなんですね。たしかに、無限の程度を比べたりするのには、それぞれがいちおう完結しているものとして見ないと、比べられないですものね。

で、「無限」(つまり実無限)にヘブライ文字の最初のアルファベットである、アレフという字をあてて、アレフと呼んだと。そして、その無限の濃度、程度によってアレフ0とかアレフ1とか、番号をつけたかったんだって。

そしてそして、常識で考えたら、整数+有理数の数えられるけど終わりがないタイプの無限がアレフ0なら、次は無理数も含めた実数全体の無限が来てアレフ1になりそうじゃない?カントールもそう思って、それを証明したかったんだけど、それがどうしても出来なかったと。。。カントールが証明したかったこの仮説は、「連続体仮説」とよばれるそうです。

そして、「連続体仮説」が証明できないイライラと、そういう無限とか無限の大きさなんてことを論じること自体に反感をもつ、元恩師でもあるクロネッカーという数学者にいじめられたことが重なって、鬱の発作を断続的にくり返すようになったそうです。

カントールがしようとしたことは、じつは後で、それは証明できないってことが証明されたんだとか。

無限の濃度を決めるとか、それを順番に並べるとかっていうのは、本来的には「終わりがないこと」であるはずの「無限」を、外から俯瞰して眺めて、比較しなくちゃいけないはずなんです。それは、結局できないということが論理的に証明されて、数学者もショックを受けたけど、それもカントールが世を去った後のお話。

つまり、カントールがしようとしたことは、無限を云々しようという「神の領域」への挑戦だったということになるのでしょうか。(っていうか、どうして無限の階層をそんなに決めたくなったのでしょうね。)

ほとんど数学とは思えない、哲学のようなお話ですが、文系のわたしたちは、こういう話なら大好きなのに。数学の授業で出て来た集合論の退屈さを思い出すと、きっと数学の先生は、ややこしい数式を解いたりする方がワクワクして、こんな話が根底にある集合論が、実際あんまり好きではなかったのか。それとも、わたしたち生徒がアホすぎると思っていて、語る気になれなかったのか。

でもそれを批判もできない。。わたしも実は、大学の時、高校生の女の子の家庭教師のバイトをしていて、数学もなぜか一緒にやってたんです。(以前、その話を、いわゆるリケジョ(理系の専門職についている)の友人に話したら、ブフッ!って笑われて、「えっ、その子大学どこ入ったん?!」ってつっこまれた。。。えーとそれが、エスカレーター式の女子校に行ってる子でしたので、学校でなんとか点をとっていれば、自動的に上に上がれたんですね。だから、数学を教えてたというよりも、一緒に勉強してたというのに近いんだけど、、、)

で、なんちゃって数学家庭教師体験を思い出しても、数式とか具体的な問題があれば、具体的に達成感が出やすいですが、こんな集合論みたいな哲学みたいな話は、そういうわかりやすい楽しさがないから、教えにくいとは思います。

集合論、まだよくわからないこともあるのですが、(たとえば「集積点」という意味がまだよくわからない、、、)とりあえず、今思ったことを、またまた備忘録として。

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* あのこに でんわかけなくちゃ

2014/08/13 | Filed under 生活 | Tags .

あのこに でんわ かけなくちゃ

うらやまで ひとり

おんがくのほん ひろげて

あのうた うたってた あのこに

あのこに でんわ かけなくちゃ

せんそうが おわったあと

ちいさなリュックひとつ しょって

かぞくと いのちからがら

やっと かえってきた あのこに

あのこに でんわ かけなくちゃ

ぬいものの しごとしながら

すきなひとが しずかに べんきょうできるよう

いつも おうえんしてた あのこに

あのこに でんわ かけなくちゃ

わたしが こどもだったころ

おかあさんだった あのこに

てを つないで あるきながら

あのうたを おしえてくれた あのこに

あのこに でんわ かけなくちゃ

いまは ちいさな おばあちゃんになった あのこに

ちゃんと ごはん たべた?

かいだん のぼりおり きをつけてね

らいしゅう また いくからね

もう ゆうがただから

いまは わたしが

あのこの おかあさんだから

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* 卓上カレンダー

2014/08/10 | Filed under アート, 動物 | Tags .

はじめて手がけた、卓上の立体カレンダー(2015年用)が、出来上がってきました。

紙芝居みたいに、月代わりで12種類の動物たちが登場する、かわいい〜〜!!カレンダーです!

立体の構成は、夫のデザインです。明かりとりの天窓をあけ、折ったままパッケージされたものを、すっと立てて、折り目をちょっと強化すれば、すぐに使えるようになっています。

デザインは、夫に担当してもらっては?、、、というのは、版元さんからのご提案で、当初、想定外だったのですが、今考えてみると、いつでも打ち合わせできる状態で作ったからこそ、初めてながら、手探りで、こういう形が出来たという感じもします。

こういうふうに、作ったものが出来上がってきた時が、一番しあわせです。

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* 森羅万象のなかに、それはあるの?

2014/05/03 | Filed under 自然科学 | Tags .

たとえば、ペンペン草の花の花びらは、4枚と決まっているし、いちごの葉っぱは、3枚が1組。
目は2つ、鼻と口は1つ。というふうに、決まっています。

これを数えているのは人の頭ですが、歴然と、自然の中のルールに、やっぱり「数」はあるのかな、と思いつつ、「数の法則」が、ほんとうに森羅万象の中にあるものなのか、それとも、人間の頭の中にだけ、あるものなのか、そういうことを、ときどき、ぼんやりと考えてしまいます。

この前の「フィボナッチ数列」。

これも、植物の成長点の細胞の殖え方がこの数列の法則と関係があって、だから、ヒマワリの花の真ん中部分とか、松ぼっくりは、フィボナッチ数列の法則で、形作られているという説明が
よくされます。

ただ、たとえば自分がヒマワリの細胞だったとしたら、最初からフィボナッチ数列になろう、と思って成長するのではなくて、細胞一個一個が、よいしょ、よいしょと増えていったら、結果的にフィボナッチ数列になったということだと思います。

つまり、細胞とか生き物が、成長しながら、自分のコピーを生み出して行こうとしたときに、
自然に、今作ったものと同じものをもう一個ふやして、
次は、前にあったものを両方足して、またふやして、となるので、
森羅万象の中に、フィボナッチ数があるのが不思議。というより、森羅万象が、フィボナッチ数を生み出していると言った方がいいのかも。。。
そういうふうに考えると、それが当たり前のような気もしてきます。

また、よく六角形のハチの巣について、六角形が、一番、お互いを仕切る壁の面積が少なく、最低の労力で巣部屋をふやしていける合理的な形であり、ハチが本能的にその形を選択しているのは、すごいと言われることもあります。
ただ、アシナガバチが巣を作っているのを観察すると、ハチは、最初から六角形を作っているのではないみたい
最初は、一つのまるい筒型の部屋を作り、それとほとんど同じ大きさのもう一つの部屋を、となりにくっつけます。そして、その二つの真ん中部分の壁を利用して、また同じ大きさの部屋を作ります。
その次はまたとなりに。。。というふうに、どんどんつなげていくと、上や左右から押されているうち、だんだん一つ一つの部屋の間の壁がまっすぐになり、結果的に、六角形になっていくのです。
それは、ハチの巣の一番はしっこを見ると、よくわかります。押されるとなりの部屋がないときには、
部屋は丸いですから。

←うちのベランダにできた巣。

←「ハチのおかあさん」小川宏著 新日本出版社 より



部屋の大きさは、自分の足で抱きかかえられるような感じの大きさに作っているように見えます。
大きさの個体差はほとんどないので、ほぼ同じ大きさの部屋が並び、そして、たしかに、最小の労力でいっぱい部屋をつなげようとしてることは確かですが、厳密に、六角形を作るぞ!というレシピは、ハチの中にはないと思うのです。
そこに六角形を作り出しているのは、重力や圧力などの物理法則で、そして、その形をそこにみつけているのは、人間の頭なのですよね。

物理法則で押していけば、きれいな六角形になるくらい、バランスよく同じ大きさの部屋を並べているという点は、すごいと思います。

円をバランス良く並べると、そこに六角形がうまれる。。。

フィボナッチ数列では、まずそこに1があって、それを複製するとまた1がうまれる。つぎは、最初の1と、つぎの1を合わせると、2がうまれる。そして、その次には、その2と、その前にあった1を合わせて、3がうまれる。。。

1つのクォークが、別のクォークとくっついて、3つ合わさると陽子ができる。。。陽子1つと中性子1つがくっついて、それを、1単位の電子がとりかこむと、一番基本の元素、水素がうまれる。。。

こんなふうにして、順番に数から数が、ひとつの形から、もう一つの形が、一つの素粒子から、元素が、物質が、そして命が、うまれていきます。

最初から、全部が法則として、自明の理として存在していて、この森羅万象の中の物質やいきものがそれに向かっていったのではなくて。1つ1つが、次から次へと、うみだされていった結果、私たちが見ようとしている法則が、形作られていったのかな。

宇宙ができる前、「無」だった、と言われます。物理の考え方では、ほんとうの無ではなくて、エネルギーだけがあって、何も起きていない状態だったと考えるそうです。完全な無ではないのだとしたら、つまり全体として、「1」の状態ともいえて、その何も起きていない状態から、何らかの運動が突然起きたことで、1とは別の1がうまれて、それが2になった。。。そんなふうにして、連綿とここまで続いて来たのかな。


そう考えると、それを眺めようとしている、人間の脳の方が不思議なような気もして来ます。

また、訳のわからないことを書いてしまいましたが、これも、自分のための備忘録として。

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* フィボナッチ数列の影ができるところ

2014/04/27 | Filed under 自然科学 | Tags .

ヒマワリをはじめ、ハルジオン、マーガレットなど、キク科の花のまんなかの部分を形作っている、花びらのない小さな花(筒状花とよばれています)は、うずまきのようならせんのような列を作って並んでいます。
この並び方と、「フィボナッチ数列」という数列は、リンクしています。

フィボナッチ数列は、イタリアのフィボナッチという数学者が発見したと言われています。
1,1,2,3,5,8,13,21,34,55,89…のように、前の2つの数の合計が、次の数になるという
シンプルな数列です。
キク科の花のまんなか部分の列が何本あるか数えると、列が40本以下の小さな花の場合、基本的に、
フィボナッチ数列に出て来る数になると言われています。
(列の数が多い、大きなヒマワリになると、途中にできたすきまに列が増えて、本数に誤差が出るようです。)
詳しく知りたい方には、こちらがおすすめ→大阪大学の近藤滋先生のHP

フィボナッチ数列というのは、かんたんそうで奥が深く、たとえば、ヒマワリだけでなく、貝のうずまきのできかたなどにも、この数列が関係あるのです。

で、ふと思いついたのは、ふつうのフィボナッチ数列は、もちろん、「自然数」の中の数列だけど、
これを複素数にまで広げたら、どんなグラフになるのかな?
フィボナッチ数列のグラフは、自然数の部分では、最初はゆるやかで、後は右肩上がりにふえる単純な曲線を描きます。でも、この性質は、複素平面でも同じなのかしら。。。

で、複素数に展開してグラフにしてみようと思ったのですが、なにしろ高1のときに、「虚数i」の登場で
授業に落ちこぼれた過去のある私、
フィボナッチ数列を複素数にする計算をやろうとしたけど、ぜんぜん、できません。
前の数2つの合計が次の数になるというだけの、単純な数列だと思ったのに。
複素数でも、ただ合計して並べればいいと思ったのに〜〜〜(T_T)

それで、やぶれかぶれでネット検索してみたら、なんと、ちゃんとそれを展開して
グラフにしてくれている方のブログがある〜〜〜!!
しかも、2次元のグラフだけじゃなくて、3Dにも展開してある〜〜〜!!

で、このグラフを見たとたん、なんだか背筋がぞくっとなりました。
というのは、まず、自然数、つまりふつうのプラスの数だけではなく、負の数もふくむ整数としてフィボナッチ数列を展開すると、数が多くなったり少なくなったり増減をはじめて、波動のように振動(グラフとして)するようになります。
そして、さらに複素平面のグラフになると、それがらせんを描いています。そしてそれを、3Dでみると、貝のようなうずまきが。。。

まるで、複素平面に、現実世界のフィボナッチ数列で起きる現象の影ができているみたい。

あああ〜〜こんな数式展開が全部理解できて、じぶんで操作できたら、楽しいだろうな。(悲)

複素数というのは、虚数iを含む数と実数との足し算でできている数で、複素平面は、それを座標にしたものということになります。横軸を実数軸にして、縦軸を虚数軸にしたのが、複素平面なのです。
むかし落ちこぼれてから、今もあまり理解できてませんが、「虚数」の世界ってほんと、なんなんでしょう。
このわけのわからない虚数や複素数を使うと、電子の動きとか、波動とか、いろんなものを計算するのに
便利なので、実用的によく使われていると。。。(電流の流れを計算するとき、iを使うと簡単に微分できるとか、、)

それに、ここ2〜3年ハマっている宇宙論の中でも、時間を虚数で計算する、とか、よく出てきます。
物理の世界で、いろいろ理論をあやつるには、技術的に便利なものらしいのですね。

つまり、日常的に使っているさまざまな技術に、じつはすごく使われているにも関わらず、よく意味はわかりません。
でも、つねに虚数と複素数が気になってしまうのは、それが何かを現しているような気持ちを、完全に払いのけることができないからだと思います。
高校のとき、落ちこぼれた原因も、それを考えて立ち止まってしまったからだというのに。
(数学の能力の高い人はよく、複素数なんて、深く考えないで、道具だと思えばいい、とかおっしゃるのですが)

虚数の世界とか、複素平面って、やっぱり、目に見える現実の、その影みたいなものなのかしら?

個人的には、しかもただ何となくそう思うっていうだけなのですが、複素平面には3次元の射影のような所がありますよね。なんていうか、数をすべて複素数として扱うと、虚部は面的なため、すでに2D的な成分を持っていて、それに実部が加わるので合計で3Dになるというか。ただ、虚部が面というのも、私が勝手に思ってるだけで、iは平方根であって平方数ではないわけなんですけれど、、、

あー何言ってるのか、自分でもわからなくなってきた。(数学を専門にされている方が読んだら、プッと吹き出しちゃいそうな勘違いかも)

ちょっと飛躍というか、意味をもたせすぎかもしれません。
つまり、数学の世界に主観を持ち込んでしまいましたが、
こんなふうにつらつら考えたことも、しばらくたつと忘れてしまうので、
備忘録として、そのまま書いてしまいました。

訳のわからない文章で、ここまで読んでくださった方、申し訳ありません。

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* つばめのおうち

2013/07/31 | Filed under アート | Tags .

フレーベル館から発行されている、キンダーブックやころころえほんの付録のミニ冊子「つばめのおうち」の表紙を描かせていただいています。

この冊子は2色印刷と決まっているのですが、じつは私は2色が苦手。というか、もちろんスミと他の色だけでも描こうと思えば描けるのですが、ふだん使っている画材(水彩+色鉛筆)ではそれが出来ないのです。

それで、なんとか納得出来る質感を出そうと、いろいろやってみたのですが、うーん。と、いうことで、結局、ふつうにカラーで絵を描いて、デザイナーさんに2色の色指定をしていただくことになりました。

この色指定がなかなかに美しく、2色とは思えないような深みも出ています。そして、月を追うごとに、ますます色指定がパワーアップしています。まだ配布されてないので、今は出せないけれど、りんごを描いた10月号なんて、わ〜〜っ!って感じでした。

こんな2色印刷だったら、2色のさし絵の本ていうのもいいかもしれないな、と思う今日このごろ。(原画は、ふつうにカラーで描きますが)

ほかの方のお力を借りると、自分1人では届かない所に、新しい発見があるのがチームワークの醍醐味ですね。

当初1年間ということで始まったこの連載ですが、またもう1年続けさせていただけることになりました。

*絵の中のいのしし母さんが着ているのは、LINNETのために作った「タブリエドレス」です。

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* らくだの本

2013/06/04 | Filed under アート | Tags .

全開更新してから1年以上がすぎました。。

今年の3月には、「野の花ごはん」(白泉社)が刊行になり、4月にはサイン会も。。。とても緊張しましたが、無事終了。

お越しくださったみなさま、ほんとうにありがとうございました。

次は、あすなろ書房の「いきもの図鑑えほん」などのシリーズの続編で、「世界の動物(動物園のいきもの)」の本を作らせていただくことになっていて、今、ラフの作業のため、せっせと参考図書を読みあさっています。

今読んでいるのは「らくだの文化誌」。自分の予備知識の少なさと、文化誌と銘打つ本の特徴で、いろんなマニアックな事柄が、ほとんど箇条書きに近い状態で詰め込まれているため、かなり読みづらくて四苦八苦しています。資料としては、とても貴重な本で、京都市動物園の図書館で見つけ、その後古書を探して入手しました。

夜寝る前には、you tubeでBBCやナショナルジオグラフィックの動物などのドキュメンタリーを、ずーっと見ています。こういったイギリスで作られてる動物ドキュメンタリーは、オオカミとBig Cats(ライオンとかチーターとかヒョウとかトラなど)が多いことに気づきました。

と言いつつ、わたしもオオカミにも、大型ネコ科にも惹かれます。オオカミは、映像で何十キロもの距離をえんえん、ずっと疲れも見せずに走り続けている姿を見ているだけでも、胸がすくような爽快感があります。そのスタミナ、辛抱強さ、そして群れの結束や知恵には、心から感動します。

そして、大型ネコ科は、大きいのに、うちの猫たちにしぐさがそっくり!だけど獲物を襲うとき怖い!でも、怖いと感じつつ、その強さに、やっぱり心を動かされます。

そして、ナショジオには「らくだ」は無いみたい。らくだは、アラブ世界を代表する動物だからでしょうか。「らくだの文化誌」も、アラビア語の専門家の著者が書いたもので、違う文化圏の世界をのぞいている気分になります。

下の絵は、伊勢丹のイベント用に描いた、バナーの絵です。

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* ギャラリー3月のおわり

2012/03/29 | Filed under アート, 動物 | Tags .

↑playroom

↑習作

↓先日原画展に展示した絵です。(絵は完売しました。ありがとうございました!!!)

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* ギャラリー3月

2012/03/19 | Filed under アート | Tags .
mayumi maeda 2012

mayumi maeda 2012

mayumi maeda 2012

mayumi maeda 2012

mayumi maeda 2012

mayumi maeda 2012

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* ミニ原画展

2012/03/10 | Filed under アート | Tags .

今日からLINNETで小さな原画を11点ほど展示しています。

動物の絵を展示して見て頂くのははじめてです。

もし、お時間があれば、お立ち寄りください。

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