Archive for the ‘アート’ Category

* 「祈り」

2010/09/17 | Filed under アート | Tags .

最近、絵を描くとき それを「祈り」だと思って描いています。

これはじつは、皇后美智子さまの言葉、「皇室は「祈り」でありたい」からインスパイアされたのですが。。。

「祈り」って、なんだかすごくしっくりくる。と思いました。

絵を描く人はみんな考えていると思うけれど、わたしも自分にとって絵ってなんだろうって、思うことがあるのです。わたしの場合、芸術として絵を描いているのではないのですが、どんなスタンスであろうと絵は絵で、絵を描くという行為は、原始的な衝動からうまれてくるものです。

長年仕事としてそれをしていると、いつかはそれを仕事として割り切って考えるようになるのかなと昔思っていましたが、そうはならず、それは無理だということが、逆にわかってきました。何年やっていても、絵を描くということを一般的な意味での「仕事」と考えるには、違和感がつきまといます。

では絵を描くとき、それを何だと思えば落ち着くのか?

私の場合、自分自身を表現するということにあまり目的意識をもてないので「自己表現」ではありません。そして、「仕事」っていうのもちょっと違うとすると いったい何?。

その答えはずっとみつかりませんでしたが、「祈り」だと考えると とても落ち着けたのです。

その「祈り」というのは、「世界が平和でありますように」とか「人々がみな幸福でありますように」とか「罪をゆるしたまえ」っていうようなのとは違っている。

つまり、現代の理性(おもに西洋で発達した)側から見ると 呪術とか魔術とかに分類されてしまう、原始的な心の欲求というか。

そういう、言葉でつづられたドクトリンに依っているようなものではなくて、もっと根源的な、無理に言葉にすれば、「自然との交合、一体感への欲求」のようなものかな、と思います。

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* ベジャス君からの手紙

2010/07/09 | Filed under アート, 生活 | Tags .

ベジャス君から始めて私宛に手紙が届いたのは去年です。楽しい絵をいろいろと描いた便せんと封筒に、雪だるまの絵を描いたコースターが入っていました。

ベジャスは,カナダに住んでいる13歳の男の子だそうです。その少し前に,ネットを通じて,LINNETに布などの注文をしてくれたお客様でした.でもまさか,13歳の男の子だとは想像もしていませんでした.

手紙には,「男の子としてはおかしいかもしれないけど,手作りするのが好きなんだ」と書かれていました。それから「ぼくの名前はリトアニアの名前なんだよ」とも。

それでお返事を書きました。絵や作品がとても素敵でおどろいたこと。LINNETでは男性の作家さんの作品も扱ったりしていて、男の子で手作りや縫い物が好きなのは,全然おかしくないと思うこと。リトアニアは、リネンの産地として日本ではとても有名だけれど,ベジャス君はリトアニアに行ったことがあるの?などなど.

するとまた返事が来て、「リトアニアには家族で行ったことがあるよ.それがすごく変な用事で行ったんだけど,,,おじいちゃんの歯医者さんに行くのが目的だったんだよ」「リトアニアでは,親戚が,戦争で傷んだアパートにまだ住んでいて、心が痛かった.でも田舎の親戚の家は農家で、広い牧場や畑があって,すごくたのしかったよ」

そして,すてきな絵や手縫いの作品が同封されていました.

こんなふうに,ベジャスとの手紙のやりとりが始まりました.

ベジャスはとても聡明な男の子.13歳らしく,あどけなく学校のことや,妹のことなどを話してくれたりもしますが、いろいろなことを彼なりに考えているようです。

ベジャスは,カトリック系の学校に通っているそうです.学校で習う神学の授業には,いろいろと考えることもあるらしく,ある時はわたしに,「こんなことを聞くのは良いかわからないけれど,まゆみさん(ベジャスは日本のまんがも大好きで、わたしのことをちゃんと日本風にさん付けで呼んでくれるのです)は,どんな宗教を信じていますか?ぼくはカトリックの学校に行っているのだけれど,まだどんな神様を信じたらいいかわからない」と書いていました.

それでわたしは,こんなふうに返事を書きました.

「わたしはプロテスタントの学校に通っていたけれど,キリスト教徒ってわけではないんだ.日本の家はそれぞれ仏教のお寺に属してもいるから、その意味では、生まれながらの仏教徒だけど,近所には大きくて古い神社もあって,大切な儀式は神社にたのんだり,毎年おまいりにも行くんだよ.日本では,仏教よりも,神社の方が古くて、神社には「八百万の神々」っていう考え方があるんだよ.つまり木にも草にも石にも,トイレにさえも,自然界のどこにも神様がいるっていう考え方なのよ.だから,日本では仏様も,イエスキリストも,みんなが大切にするのは「八百万の神々」のひとつだという気持ちが根底にあるからじゃないかな。こんな考え方、ベジャスの学校の神父さんが聞いたら、怒るかもしれないけど,私は、これは日本のすごくいい所だと思ってます.反社会的なカルト宗教でさえなければ,日本では少なくとも宗教をめぐって戦うとか,そういうことは起こらないのよ.」

ベジャスは、手塚治虫の「ブッダ」なども読んでいて,最近ではますます日本に興味をもっているようです.ベジャスが特に日本ですごいと思っているのはマンガで,手塚治虫などの作品は、日本のマンガにしかない深い内容があると感じているよう.

ベジャスは書いています.「縫い物は、ただひたすら縫ってるときが好きで、とっても楽しい」13歳なのに手縫いの作品をどんどん仕上げるのですから、本当に縫うのが好きなのでしょう.そしてベジャスは、お話を作ることや,絵を描くことが好きで、そして今はマンガを描いてみたくてたまらないようです.ベジャスが考えているマンガのストーリーを教えてくれました.それはとても悲しい物語でした.

どうして、こんなにベジャス君と何度も手紙のやりとりをするほど、友達になったのか、考えてみると、ベジャス君は,私の子どもの頃にとても似ているからかなと思いました。私はベジャスのお母さんと同世代なので、ときには年上の大人としての考えも伝えたりもしますが,ベジャスの年頃だったときの自分の気持ちを、今もわりとはっきりと覚えています。

わたしが大好きなベジャスの絵のひとつは,うさぎのぬいぐるみの絵.Forlorn Bunny(ひとりぼっちのうさぎ)と書かれています.Forlorn Bunnyは,英語でこのような言い方があるようですが,たぶん野うさぎは冬も冬眠しないので,森の中で他の動物が眠ってしまっても,じぶんだけ残っている、ということからforlorn=取り残された こんなふうに言われるようになったのかなと思っています。

ベジャスの絵は,夕暮れ時に窓辺に座っているぬいぐるみのうさぎが「ひとりぼっち」な状態でいるように見えて、そこに物語があるような気がしてきました.ベジャスには、このうさぎが寂しい理由をお話にしてみたら?とも言ってみているのですが,もしかしたらベジャスは,少年期の心のどこかで,この世界にかならずよこたわっている「孤独感」に気づき始めているのかもしれないと思います.

ふしぎなご縁の,年の離れた友人ベジャスのかわいい作品を,明日7/10から7/24まで、LINNETで展示します.もちろんベジャスにも了解を得ました.もしご来店いただけたら,ぜひ、ベジャス君にメッセージをお願いします.

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* イギリスの野の花えほん

2010/07/03 | Filed under アート, , | Tags .

「野の花えほん 秋と冬の花」がやっともうすぐ校了になり、今月末の刊行予定です。ここ数ヶ月、作業でほとんどずっと籠っていました。

不器用かもしれませんが、集中して籠る、こういう状態がけっこう好きです。LINNETに出勤するのは月に数回ですが,お客様やいろいろな方にお会いすることで,自分にとっては気分転換になっているようです。

「イギリスの野の花えほん」あすなろ書房

ところでこの春、野の花えほんと同じ版元さんから,野の花えほんのイギリスの友だち,みたいな素敵な本が出ました。「ねこのジンジャー」の作者、シャルロット・ヴォーク作です。わたしも若い頃、イギリスでのステイ中に野草の魅力にとりつかれたので,イギリスの野草はとても懐かしい。

イギリスの野草は,ハコベのように日本と同じものも少しはあるものの,日本にはないものも多いのですが,この「イギリスの野の花えほん」で,ほとんどすべての花が、ちゃんと日本語の名前に訳されています。それといつも思うのですが、日本で翻訳本が出ると、日本版の印刷は原書より美しいことが多いです。この本も、じつはイギリス版を持っていたのですが,見比べるとやっぱり日本の本は,印刷がきれいです。そして,イギリス版はペーパーバックですが,日本語版はちゃんとしたハードカバー。最近、海外の絵本はペーパーバックが激増していて,逆に日本では絵本はハードカバーが基本です。なんだか一昔前と逆転しているな,と思います。

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* 春の七草

2010/01/26 | Filed under アート | Tags .

せり なずな おぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ。

もう七草がゆの日はとっくに過ぎましたが。。

道ばたや庭では、そろそろ はこべがぐんぐん のびていますね。

みずみずしい日本の野の草たち。

先日の韓国料理教室のときに伺ったのですが、たとえば同じ白菜でも、韓国は気候が乾燥しているので、もっと固く身がしまって、また味も濃いのだそうです。

それにくらべると日本の気候は、湿気が多く、野菜もやわらかくて水気が多いそうです。そして、何でも朽ちたり腐ったりするのが、日本の方がずっと早いそうです。

それを聞いて,なんとなくおもったこと。

日本には、スッキリとして、枯れていて 透明なかんじを好むテイストが いつもみんなの気持ちの根底にあって、どこか つねにそこに戻っていく部分があるように思うのですが、そういう感覚は、生まれ育ったこの土地の「水分の多さ」に由来しているのかもしれません。

風土というものに、心はずいぶん影響を受けるんだなと。そんな気がしました。

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* 高村智恵子の生まれた家

2009/05/25 | Filed under アート | Tags .

野の花えほん」の「ねじばな」のページの取材で、昨年秋、福島にいきました。「ねじばな」の別名「もじずり」の語源になっている、福島県の「もじずり染め」というのが実際にどういうものなのか、わからなかったのですが、福島県にある「文知摺観音」というお寺を訪ねれば、復元した染め物や、もじずり染めに使った石などを見せて頂けるとわかり、訪ねることにしたのでした。それで描いたのが、もじずり染めの絵です。

そして、宿泊した旅館から車で30分程の所に「高村智恵子の生家/美術館」があるのを知り、取材をした次の日の朝、寄る事が出来ました。昔から高村智恵子の紙絵に惹かれていて、智恵子抄の他、「智恵子飛ぶ」(津村節子著)などの伝記も読んでいたので、かなり嬉しかったです。

裕福な造り酒屋だったという生家は、一時人手に渡ったそうですが(この実家の破産、没落が、智恵子の精神病の発症の引き金になった面があるようです)よく保存されていて、裏にはこじんまりした美術館があり、智恵子の紙絵の実物と、油絵が展示されていました。夫の高村光太郎によると、智恵子は油絵を描こうとして、努力を続けていたけれども、上手く描けないことに悩んでいたそうです。

わたしは智恵子の紙絵や、若い頃に描いた「青踏」という雑誌の表紙画を見ても、高村智恵子は グラフィックデザイナー的なセンスが秀でた人で、「平面」の表現の人だと思います。今で言うと、ブルーノ・ムナーリとか、そういったジャンルの仕事にとても向いていた人だと思うのです。

智恵子はどうして、油絵にこだわっていたのでしょう。油絵というのは、絵という平面に見えますが、わたしが思うに、実は「立体」に近い気がするのです。油絵の具は、水彩に比べると、粘土にも近く、この立体物をキャンバスにくっつけていく事で微妙な陰影や色や形が生まれます。ただ、ルネサンスとかファンアイクなどの時代には、油絵はもっと平面的なものだったかもしれません。でも、おそらくは印象派以後、油絵はどんどん立体的なものに発展したと思います。そして、パリ画壇の影響を受けた当時の日本の画壇の方向性もそういったものだったと思います。智恵子の残した油絵を見ると、モネやゴッホの絵のごとく、絵の具を立体的に盛り上げてありました。そして、光太郎が描き残すように、それはやっぱり「習作」の状態と見え、後に智恵子が作った斬新な紙絵の完成度とは違う次元でした。

ここでもうひとつ思い出すのは、油絵の顕著な特徴。絵の具が乾くのに時間がかかり、つまり作業に時間がかかることです。頭の中にあるイメージがあるとして、それを手でつむぎ出すのに、泥をこねて何日も格闘するような、そういう作業を経なければいけません。グラフィックデザインのように瞬時に、作りたいイメージに必要な色、形を取捨選択し、平面を構成してピタッと決める、そういう、ある程度「一発勝負的な」作業とはかなり違っています。智恵子は紙絵を作る時、色紙や包み紙をしばらく眺めた後、ほとんど迷うことなくハサミを入れて、かなりの速度で作っていたそうです。デザインという作業の中に先天的にある潔さ、それが智恵子には備わっていたように思えるのですが、その潔さは、油絵の具の可能性を追求しながらドロドロになって格闘していく油彩とは、相容れないものだったのかもしれません。もしかすると、現代の、すぐに乾くアクリル絵の具を彼女が手にしていたら、絵画的な表現をするにしても、何かが違っていた可能性もあると思います。

智恵子はグラフィックデザイナー的才能の人であり、油絵は向いてなかった。そんな単純な事実が そこにあったのではないかと思います。けれども、彼女がその縛りから抜けられなかった理由は何だったのか。彼女自身がこだわる性格だった、高村光太郎が「立体」の人だったという影響、当時の画壇の雰囲気。。。いろんな理由があるのかもしれません。

狂気の中で、始めて彼女がその縛りから解放され、最晩年の短期間の間に、おびただしい数のあの美しい紙絵作品群を作り出したことを思うと、切ないです。

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* 恩師のことば

2009/05/23 | Filed under アート | Tags .

数日前、恩師の先生と久しぶりにお電話でお話しました。大学に通っていた頃、先生が主宰されていた洋画のアトリエで、美大を受験する高校生の子たちに混じって、デッサンを習っていたのです。

実際に習ったのは2年間、今考えると短い期間ですが、頻繁に通いました。2年目は、自分ももう一回美大に行き直そうと思って、(結局やめて金融機関に就職したのですが)ずいぶん夢中になっていたと思います。先生のアトリエはずいぶん自由な雰囲気で、先生も自分の油絵を描きながら、みんなてんでに描いて、好きなおしゃべりをして。みたいな感じでした。

先生は、最近刊行された「野の花えほん」を見てくださったのですが、おっしゃるには「上手くなったらあかんで。上手い人はようさん(←関西弁で沢山の意味)いてるからな」。

実は、このコメントは、学生の頃から繰り返し、先生に言われていて、もう無意識にインプットされています。一番最初にこの言葉を聞いたのは、「絵が下手なので上手くなりたいんです」と、習い始めの時に相談した時だったと思います。

その時は、何もわからなかったけれど、確かに、技術的に上手な描き手の方は本当に沢山存在しているので、その部分では全くわたしは太刀打ち出来ないはずでした。でも、その言葉を最初にガツンと言われていなかったら、今こんなに絵を楽しく描けるようにはなっていなかったと思うのです。

そういえば先生は、一昨年のカレンダーを見て「うっわー 下手やなあ!!」とも。正直、最近ではそんな事言われるのに慣れてないので「えっ(汗)」。

先生はつねにそんな調子で、お話すると、いつも空がさーっと晴れ渡るような小気味良さがあります。20〜21歳の本当に短い間、先生との出会いがなければ、今のような絵本や絵の仕事が出来ていなかった可能性は大。若い時にどういう大人と出会うかは、その後の人生にずいぶん影響してくるのだと 今さらながら実感します。

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* 小島一郎写真集成

2009/04/07 | Filed under アート | Tags .

10年くらい前、40歳代、50歳代の人の話を聞くと、若いころに比べて興奮したり感動したりすることが少ない。と 多くの方が仰いました。その時には、どういうことなのかよくわからなかったけれども、最近では、すこしわかる。それは、わたしにとっては いたずらに気持ちがブレない、落ち着いた心の状態とも言えるようにもおもえます。

そんな日々ですが 「興奮」「感動」をおぼえました。この写真集に出会って。

小島一郎という、青森や北海道の人や風景を撮った写真家の写真集です。39歳という若さで、1960年代に亡くなったそうですが、生前すでに有名だったらしい。亡くなった後はしばらく忘れられかけていたようですが、このたび青森で写真展が開催されたそうです。

きびしい津軽の風景や、そこに生きる人のすがたは、被写体としてとても生々しいのですが、驚く程、それが造形として昇華されています。とくに最後の方の雪の風景。コントラストの強い焼き方もあって もうほとんど抽象画に近いほど。もし、身近な人が、こんな写真を撮ってたら、「こんなに研ぎすまされてしまったら、この人もう死んでしまうのじゃないだろうか」と心配になると思います。それくらい透明感があり、息をのんでしまいました。

こんな写真、実物を見てみたいものだと、おもいます。本によると、ピューリッツァー賞をとった報道写真家(戦場カメラマン)の沢田教一は、青森で小島一郎が経営していた写真店に勤めていたことがあり、影響を受けたと書いてあったので、小島一郎のスタンスも「ドキュメンタリー」だったのかもしれません。けれども、単なるドキュメンタリーではなく造形美をとことん追求しているのが伝わって来ます。蛇足ながら、生前の写真を拝見すると、小島一郎さん、かなり男前でもあります。

かっこよすぎる写真集でした。

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* いつものわたし、ナチュラルな服 (続)

2009/03/20 | Filed under アート, リネン, 動物, | Tags .

明日からLINNETで、「いつものわたし、ナチュラルな服」に収録の作品をセレクトして展示します。編集さんの手元から戻ってきた作品を箱から取り出していると、撮影のときのことを思い出します。

お洋服の本を作る時に、いつも悩むのがスタイリングのこと。わたしの場合、プロのスタイリストさんとは違って、特定のテーマを設定して、スタイリングを創造するような能力がありません。ですから、スタイリングと言っても、いつも結局、自分の持っているものを作品に合わせることしか出来ません。ただ、出来上がってみると、それはそれで、まぎれもない そのまんまの素の自分の世界が本になっている気がします。

今回も、学生の頃好きだった古いレコードのジャケットや、好きな洋書など、身の周りにいつもあるものを洋服に合わせました。P18,19,22に写っている植物標本は、夫の叔母が若かりし頃、留学先のアメリカの大学の授業で作ったという押し花の標本を、特にわたしに、と叔母が言ってくれて譲り受けたものです。律儀な叔母の手がき文字で、植物の名前などの情報が書き込まれたそれは数百枚もあるのですが、叔母亡き今、大切な形見でもあります。この標本自体が本当に素敵なので、額に入れようと思って出してみた所、ふと思い立って、その中の一部を服に合わせてみました。明日からの展示では、その標本もLINNETに置いて、お客様に見て頂きたいとおもっています。

撮影は去年の9月の始め頃。その頃から、うちの台所のお勝手口に、子猫が遊びに来るようになったのです。頭からおしりまでの長さが20cmくらいしかなかった子猫は、姪の持っている猫のぬいぐるみにそっくりで、姪たちがつけた、そのぬいぐるみの名前をもらって「ニャンカ」とよぶようになりました。夏の終わりで、いつも網戸にしていたお勝手口に、撮影の間もニャンカが遊びに来るので、皆さんに見てもらったりしました。

あれから7ヶ月近く。ほとんど大人に近づいたニャンカ、実は、今はうちの家族なのです。今は外にも出かけたがらなくなり、完全室内暮らしで家の中を走り回っています。他の猫3匹とも、仲良くなりました。上の写真は、本の撮影の合間に撮った、子猫時代のニャンカです。

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* いつものわたし、ナチュラルな服

2009/03/19 | Filed under アート, リネン, | Tags .

新しい本「いつものわたし、ナチュラルな服(文化出版局)」が出来上がりました。

 

表紙にもなっている、ピンタックいっぱいのドレス。アンティークのシャツを参考に、最初は肩幅を広く、肩が落ちるデザインで作りました。でも、自分で着てみると、なんだかすごく、太って見える。。。そして、細い方が着たとしても、ちょっと無駄に大きく見えそうな感じ。そう、思い直して、肩まわりをスッキリさせて、作り直したのです。アームまわりなどは、ゆったりととって、着心地よく。

見た目はスッキリ、でも着るとゆったり。それが、わたしの作りたい、自分で着たい服なのだな、と今回あらためて思いました。

スッキリといえば、p20のロールネックのワンピースも、首が長く、小顔に見えます。このワンピース、クラシックのポースレインブルーで作りました。モデルさんに着てもらったら、ものすごく似合っていて、思わずうっとり。。。そういえばここ数年、こういうちょっと大人っぽいワンピースを着ていないので、自分用にも作りたいと思っています。

LINNETのサイトやお店でも、たくさんのお問い合わせをいただいている、バラのコサージュの作り方も、「いつものわたし、ナチュラルな服」にご紹介しています。

新しい本、楽しんでいただけることを ねがっています。

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* さんぽ

2009/01/20 | Filed under アート, リネン, , | Tags .

2009年になってもう半月以上が過ぎてしまい新年のごあいさつが遅くなりました。今年が皆様にとって、静かで穏やかな年になりますように。今年もどうかよろしくお願いいたします。

年末年始,ほとんどアトリエで仕事をしておりました。今年は,春に書籍が2冊ほぼ同時に刊行になります。大人服の本「いつものわたし、ナチュラルな服」と、「野の花えほん」です。

ほとんどこもりきりの毎日でしたが、時々は友人に会えたり,週末は夫と近所を散歩したりすることで、気分転換していました。いつもの散歩コースはだいたい2通り,糺の森を抜けて川べりから戻ってくる」か、その逆かどちらかです。落葉樹の多い森の中は,冬の方が光がたくさん射していて,木漏れ日がきらきらと小川にそそいでいます。

帰りに高野川を歩くと,鴨がいっぱい。きっともうすぐ雛が生まれるんじゃないかな。「野の花えほん」では高野川をイメージした風景も描きました。

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